2014年12月13日土曜日

樹木の葉の総面積

光合成によって、一キログラムの植物体をつくるために、平均して六キログラムの一酸化炭素を吸収し、二キログラムの酸素を放出しています。一本の森林についてみますと、一ヘクタール当たり、一年間に、二酸化炭素を十五トンから三○トン吸収し、酸素を一一トンから二三トン放出しているといわれています。熱帯雨林については、もっとずっと人きな量になります。地球温暖化の問題で森林が大きな役割をはたしていることをみてきましたが、それは、樹木が光合成作用を通じて人気中の二酸化炭素を人量に吸収して、大気中の二酸化炭素の蓄積を減らしているからです。

 植物体が光合成をおこなうさいに大量の水を必要とします。植物体は、太陽が吸収したエネルギーを使って光合成をおこなうわけですが、その大半は、植物体の表面から水を蒸発させるための気化熱として使われます。夏の暑い日中でも、森林のなかはひんやりとした快適な温度が保たれているのは、このためです。

 森林に降った雨は、樹木の葉にさえぎられてゆるやかに地表に落ちてきます。はだかの地面では、雨水の大部分が、ときには土も一緒になって、流れてしまいます。しかし、森林では、雨水は土のなかに深くしみ込んで、根から吸い上げられて、光合成を通七て樹木の生育をたすけ、葉から蒸発します。

 森林では、樹木の葉の総面積は、土地面積よりはるかに大きいのが普通です。熱帯雨林では、七倍から八倍になるといわれています。このようにして、森林は大量の水を土のなかに貯めておいて、地中深くのびている根によって水を吸い上げ、葉から大気中に蒸発させているのです。森林に降った雨水はまた、地下水となり、やがて、渓流や湧水となって流れ出ます。森林から地下の土壌を通って地下水となった水は、冷たく、澄んで、この上もなくおいしい水となっています。

 土は、砂、粘土、有機物が混じり合っています。水が土のなかを通るとき、不純物は途中で上に引っかかって取り除かれ、塩分や重金属などは、粘土や有機物にくっついて、きれいな水となります。土のなかには数多くの微生物、小動物、樹木の根などが生きています。これらの生物は、呼吸するとき二酸化炭素を出しますから、土のなかを通る水には二酸化炭素が多く含まれ、またカルシウム、マグネシウムなどのミネラルが適度に含まれています。森林から湧き出した水がおいしいのはこのためです。しかも土は浄化力をもっていますから、おいしいだけでなく、衛生面からもすぐれています。

 森林の上は、上の粒子と粒子の問にさまざまな大きさの孔隙をもっています。雨水は、この土の孔隙のなかにたまるわけです。スリランカという国を皆さんご存じだと思います。いまから二〇〇〇年近く前に、世界でもっとも高度に発達した水利文明をもっていたといわれています。十六世紀のなか頃、ポルトガルに侵略され、そのあとイギリスの植民地となってしまいました。

2014年11月13日木曜日

「欠陥アドバイス」の罠

逆に正直にすべての疑問点、難点や予想される困難を解説してしまいますと、依頼者の期待するようなアドバイスではないため、「先生、よく分かりました。どうも有り難うございました」と言って、それっきりになります。裁判を諦めるのはいいとしても、ひどいのになりますと、弁護士への相談料も踏み倒してしまいます。

 本当は法律が悪いのですけれども、それを正直に説明した弁護士まで恨まれてしまうことがあるのです。つまり、相談料も払わない人は、「自分の期待していたような満足のいく回答をくれなかった」と、正直な弁護士を逆恨みして、相談料の踏み倒しなど何も悪いとは思わない、といったことにもなりがちです。

 こうしたことに懲りて、弁護士の中には、あまり悪いアドバイスはしないようにしている人もいるようです。それが正しいアドバイスである限りは問題ないのですが、多少やりすぎたり、足りなかったりすることもあるでしょう。

 それも、ある意味では一種の弁護過誤なのかもしれませんが、例えば弁護士会が、そういう「欠陥アドバイス」を取り締まることはできません。依頼者が被害を被ったことを認識しない限り、懲戒問題にもトラブルにもなりません。

 いずれにしても、異様に儲かっている弁護士の中には、種々の問題が考えられてもそのあたりは簡単に説明し、「八割ぐらいは何とかなりますよ」とアドバイスするのが無難だと考えている人もいるようです。それで沢山の事件をこなせば、当たり外れはあるにして、「お蔭さまで何とかなりました」という結末になることも確かに多いわけです。結果オーライで、帳尻が合ってきます。

2014年10月13日月曜日

労組ぐるみの地域支配再編成

市役所の女子職員が着ていたユニホームや、そこで使われていた横文字の事務用語や、ロビーのクルマの年式や市役所の庁舎などよりずうっと早くから、そこよりもずうっと不便な場所にあるトヨタ本社のほうが、そのすべてに関して先に始めていたものの真似にすぎなかった。市役所で税務担当者にあって、豊田市の今年(一九七四年)度の財政見通しをきくと、「自工さんの売り上げ次第です」「自工さんの決算が決まらないと……」というセリフがなんどもとびだしてくる。トヨタは七四年冬に入って、ようやく一年ぶりに増産態勢にはいってきたので、豊田市の財政もようやく見通しが明るくなってきたのだが、昨年度はトヨタからはいる法人税を三五億円と見込んでいたのにもかかわらず。前期が一九億円、そして後期には一一億円しかはいらず、結局三〇億円。五億円の収入減になってしまった。

 このため、市起債の工事の発注中止などのアオリをくらった。今年度は年間二九億円と見込んでいたのだが、前期で一〇億円、後期でもその位か、ということである。二万初め現在にいたっても、これまたたしかな見通しがつかず、「自工さんの売り上げ次第です」という財政見通しである。豊田市の歳入二一〇億円のうち、法人、個人を合わせた市民税総額は、約半分の六〇億円強。いままでの例からみれば、このうち法人税は六〇パーセント以上を占め、このうちトヨタ分か八〇パーセント以上、個人市民税でも全従業員三万四〇〇〇人の八〇パーセントが市内に居住しているのと、下請関連をふくめると、市民税総額中九〇パーセント程度はトヨタに依存しているのである。

 たとえば、七二年度の税収入をトヨタだけに限ってみても、法人市民税八一パーセント、個人市民税五三、固定資産税(土地・家屋)三七、償却資産六九、電気ガス税五〇、都市計画税四三、というようなものだった。トヨタは、豊田市とその周辺に、トヨタグループご一社約六万人、協豊会(下請協力工場・部品工場)二〇〇社、精豊会(型・ゲージ関係)二二社、栄豊会(建設、工事関係)三三社、その下の二次下請で一〇〇社、三次は一万から三万社といわれる工場を配置し、不滅の王国を形成している。

 それが石油危機を契機とした減産態勢の継続によって、城下町の金庫番もソロバンのはじきようがなくなってきたのである。当面予想されるのは、これまでのトヨタにおける生産増大によって、人ロがふえ、小中学校が満杯となり、病院、保育園が不足し、それにともなう財政負担の増加分を、こんどはトヨタからの税金だけでは賄いきれなくなることである。「減産次第でこれからの豊田市は苦しくなるでしょう」と税務担当者はいまから頭を抱えている。

 豊田市民はトヨタ出身議員を「トヨペット議員」と呼ぶ。これらの議員は、形式的には労働組合推薦で、民社系である。工場内でのトヨタの選挙運動は、表面上は、企業としてのトヨタではなく、組合員である職制の手でおこなわれる。トヨペット議員としては、元労組委員長の衆議院議員一人、県会議員一人をだしているが、市だけでみても、市長と市議会議員八人(このうち一人が市議会議長)である。この議員の数は市財政に対するトヨタの寄与率が高まるのに併行してふえてきたが、七四年では年代別、工場別の代表委員といった形で構成されている。これを工場別にみると次のようになる。

2014年9月12日金曜日

インサイダー取引規制

いわゆる粉飾決算は継続開示書類の虚偽記載となって表れますが、粉飾決算をした企業が倒産していない段階で虚偽記載に対する刑事訴追を行うと、企業を上場廃止や倒産に追い込み債権者や株主に不利益を及ぼすことから、従来、継続企業に対する刑事訴追はあまり活発に行われていませんでした。課徴金制度が導入されてからは、粉飾額が大きく悪質なものに対しては刑事訴追を行い、粉飾の程度が軽微なものには課徴金賦課手続を開始するといった形で刑事罰と課徴金の棲み分けが行われているようです。そこで、課徴金納付命令が下されても企業が上場廃止とならない例も出ており、課徴金制度は継続開示書類の虚偽記載に対して活発に適用されています。ただ、従来の算定方式では課徴金の額が低すぎて十分な抑止効果を発揮できていない嫌いがあったことから、平成20年改正により、課徴金額が引き上げられました。

 引き上げ後の課徴金の額は、有価証券報告書の場合、600万円と有価証券の時価総額に10万分の6を乗じた額のいずれか多い額、半期報告書・四半期報告書・臨時報告書の場合、300万円と有価証券の時価総額に10万分の3を乗じた額のいずれか多い額です(172条の4)。発行開示違反の場合とは異なり、継続開示の虚偽記載に対する課徴金については罰金との調整規定が置かれています(185条の7、185条の8)。これらの場合の課徴金に利得の吐き出しを超える制裁部分があることを考慮したものです。また、継続開示書類の不提出も課徴金の対象とされました。その額は、有価証券報告書の場合、不提出により監査費用を節約できたと考えて直前事業年度の監査報酬額を基準に算定されます(172条の3)。

 有価証券を上場する金融商品取引所は、上場証券の発行者に対し、投資判断にとって重要な会社情報が生じた場合に直ちにその内容を開示することを、上場規則によって義務づけています。また、取引所が発行者の会社情報について照会を行った場合には、発行者は直ちに回答しなければならず、取引所が必要と認めたときは、発行者は照会に係る事実を直ちに公表しなければなりません。これらをタイムリー・ディスクロージャー(適時開示)といいます。タイムリー・ディスクロージャーは、発行者と取引所・報道機関を結ぶネットワーク(TD-netなど)を用いて行われ、取引所のホームページ上に公開されます。開示を要する会社情報としては、インサイダー取引の重要事実とほぼ同じものが列挙されています。

 インサイダー取引規制では、インサイダーによる取引さえなければ、会社は情報を開示しないことが許されるのに対し、タイムリーこアイスクロLンヤーでは、重要な会社情報が発生した場合、インサイダー取引が行われていなくても情報を開示しなければなりません。開示情報が多いほうが投資家の利益になりますが、早すぎる情報開示が会社すなわち株主の利益を損なうことがないかという懸念もあります。アメリカでは、発行者がアナリストなど特定の者に対してのみ情報を開示することが問題視され、SEC(証券取引委員会)は2000年にフェアーディスクロージャー・ルールを制定し、情報の選択的開示を禁止しました。

 日本ではタイムリー・ディスクロージャーのルールが厳しいため、情報の選択的開示は、それが重要な会社情報に関するものであれば、すべてタイムリー・ディスクロージャー違反となります。発行者がタイムリー・ディスクロージャー違反した場合、取引所は、①開示注意銘柄への指定と公表、②改善報告書の提出命令と改善報告書の公表、③上場違約金の徴収、④上場廃止の四段階の措置をとることができます。タイムリー・ディスクロージャーは取引所の自主ルールなので、違反に対して刑事罰や課徴金は科されません。開示が遅れた場合や開示情報に虚偽または誤解を生じる記載があった場合に発行者やその役員に投資家に対する民事責任が生じるかどうかは、判例もなく、難しい解釈問題です。

2014年8月18日月曜日

世界を恐慌から救う救世主

BRICSとは、もともとは米国の投資銀行ゴールドマンーサックスが作った造語である。中・長期的に高い経済成長が期待できる有望市場として四力国に注目した、発音の歯切れのよい呼び名だった。だが、経済力にとどまらず、四力国がグループとして政治的な影響力もつかもうとする意図が表れ始めている。それは「G4」を作ってみせたブラジルのしたたかな動きの中にもうかがえる。本番の十一月の金融サミットでは、インドのシン首相もブラジルに口調を合わせた。日米欧の先進国が中心のG8体制について「時代の要請を満たすには十分ではない」と断言。一方、ロシアのメドページェフ大統領は、国際金融システムの改革は、G7やG8ではなく、G20の場で議論すべきだと提案した。

 ロシアはG8にもG20にも参加する立場だが、あえてブラジルなど新興国の側に寄った姿勢を示したことになる。日米欧が今後は十分な指導力を発揮できないと読んだうえで、経済外交の舵を微妙に新興国との共同歩調の路線に転換したと解釈することもできる。だが、新興四力国の中で最も強烈に世界に存在感を印象づけたのは、中国だった。サミット開催の直前に、北京の中国政府は総額四兆元(約五十七兆円)にも上る内需の喚起策を発表。需要が落ち込む日米欧に代わって世界を恐慌から救う救世主を自ら演じて見せた。

 中国政府が挙げた公共投資の対象は、中低所得者向けの住宅、農村インフラ、鉄道など交通インフラの整備のほか、医療、教育事業の拡充、環境対策、ハイテク産業の振興など。さらに四川省の大地震の震災復興事業や所得が低い農村部の振興策、税制改革による減税措置、商業銀行の融資規制の緩和も加え、合わせて十分野の総合的な内需刺激策とした。日米欧の各国政府は、こうした中国の政策について金融サミットの前に相談や根回しを受けていたわけではない。中国は先進国から強制されたわけでも、要請されたわけでもない。中国独自の判断で、世界経済を案じ、世界のために中国が取るべき対策を講じたという形をつくって見せたわけだ。

 「中国は国際金融市場の安定化において重要な責務を担った」。新華社通信が報じた胡錦濤主席の自信満々の発言が、中国の自負を裏付けている。世界銀行も中国政府による内需拡大、景気刺激策がGDPの伸びに貢献することを認めた。世銀は○八年十一月末に発表した「中国経済季報」の中で、二〇〇九年の中国の成長率を七・五%前後と予測している。ゼロ%もしくはマイナス成長が見込まれる先進国と比べれば、中国が「頼りがいがある存在」に見えるのは当然かもしれない。もはや一枚岩ではない。では、歴史的な国際会議の内幕はどうなのか。金融サミットに事務方として参加した日本政府の幹部は会議の実態をこう解説する。

 「G20が新しい枠組みだといっても、それは名前ばかりだ。実際に会議の中で機能しているのは日米欧だけ。共同宣言や行動計画などの文書を練り上げる作業は、ほとんどG7の官僚が徹夜でこなした。新興国の政府は金融に関する政策の知識もノウハウもなく、先進国の議論についてこられなかった」実態は確かにそうなのかもしれない。とはいえ、今のグローバル経済の現実を見れば、「主役」だった日米欧の力の相対的な衰えは明らかだ。世界の経済成長への先進国の寄与度は全体の約三分の一まで落ちている。

2014年7月23日水曜日

聞くのは嘆き節ばかり

ちょうど国土庁時代の知り合いが農林省にいて、うまく解決策を出してくれて一件落着した。そこで、町民が喜んで感謝状を出したいということになった。ところが、「県庁のオエラ方に感謝状を出すのは失礼だ」と町では議論沸騰したが、結局、牛からの感謝状なら問題なかろうと、牛の鼻紋の押された感謝状をいただいた。今でも大事にとってあるが、牛の鼻紋付き感謝状は全国でもそう例はなかろう。

 こんなエピソードを残しつつ、四年間私は地域づくりの原点というものを見つめていた。その原点とは、地域づくりは行政主導では長続きしないし、根づかない。むしろ行政に背を向けたところから始まる。行政は先にたってやるのではなく、ヤル気のある者を応援する。そういう姿勢が大切だということであった。

 だが、大山町や湯布院町のような若者たちばかりが全県にいるわけではない。大分県の方言に「よだきい」というのがある。面倒くさい、あまりやりたくない、投げやり、無責任、口先ばかりで実行が伴わない。そんなニュアンスがこの方言には込められている。

 大分県の歴史をみると、かつてキリシタン大名で有名な大友宗麟(一五三〇-八七年)が、フランシスコーザビエルが府内(大分市)を訪れたのを機に、自ら洗礼を受け、フランシスコ・宗麟と改名し、ポルトガルとの貿易、つまり南蛮貿易をすすめた。当時の文献によると、日本で初めて西洋音楽が吹奏されたのは府内であったといわれているし、また若きポルトガルの医師アルメイダが、日本で初めて西洋の外科手術を施したのもこの地であったといわれている。一六世紀の頃、ポルトガルで作成された日本地図(現在、九州大学蔵)では九州の中央に(豊後)と記入されている。豊後とは大分地方の旧称で、当時、大友宗麟の勢威が九州全体に及んでいたことを示している。

2014年7月9日水曜日

「チューリップ投機」

確かなことは、政府の介入を最小限にとどめようとすればするほど、自己責任が大きくなるということである。そして残念ながら、従来の日本は「自己責任社会」とは遠くかけ離れていたという事実である。株の売買は、すぐれて自己責任の世界である。しかし、損をしたといって政府を訴えるケースが実際にあった。

 日本の株式市場はニューヨーク市場の活況とは裏腹に、一九八九年末のピーク時の水準から大きく落ち込んだまま長期低迷を続けているが、一九九〇年当時、民営化に伴って放出されたNTT株の下落が問題になった。「大蔵省がついているから絶対にもうかる」といわれて買ったのに株価が下がったというので、損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした投資家がいたのだ。

 大蔵省は売却益を社会資本整備事業に充てることにしたので、できるだけ高値で放出したいと考え、証券会社への「行政指導」を通じて株価維持をぱかったことは事実だ。なかには「大蔵省がついているから」と投資家を誘った証券会社もあったことは容易に想像できる。最初の放出株が当時のバブルの波に乗って大幅に値上がりしたせいもあり、それまで株式市場とは無縁だった人々を巻き込んで投資層を大きく広げる効果があった。証券会社は「NTT効果」と呼んで、家庭の主婦にまで財テクを呼びかけたものだった。

 第二次放出の株価は二百五十万円だった。それが。バブルの崩壊で八十万円台にまで下がった。「どうしてくれる」という投資家の気持ちはわからないでもないが、損害賠償を求めて裁判に訴えたところで勝つ見込みがないことは初めから明らかだった。冷静に考えれば、株で損して裁判沙汰にすることの滑稽さがわかろうというものだ。

 しかし、十七世紀にオランダで起きた「チューリップ投機」でも、これに絡んで破産した人々は政府を訴えて裁判を起こしている。これはバブル経済の愚かさを示す典型的な事件として世界的に知られた話だが、チューリップ投機がだんだんエスカレートして、現物だけでなく、翌年取れる予定の球根にまで値がつけられたり、翌年の球根を一定の値段で買う権利だけを売買するようになった。いまでいう先物取引であり、オプション取引である。

2014年6月24日火曜日

銀ばえは死なず

先月(十一月)背中に鈍い痛みが走って取れないので、池尻大橋の病院で診てもらったら、心筋梗塞だといわれて、即刻入院させられた。入院して、心臓カテーテル検査というのを受けた。これは、股の付け根から心臓まで、動脈内にカテーテル(細い管)を挿入して、そのカテーテルから造影剤を放出して写真を撮り、心臓の動きや、血液の流れを調べるという検査であった。

 検査の翌日には院内の歩行が許可されたが、九日間入院した。その入院中に、福田幡存さんが亡くなった。私はいったん退院して、今月八日に、こんどはPTCAという治療を受けるために、再び入院した。PTCAというのは、心臓カテーテル検査と同じように、動脈の中にカテーテルを挿入するが、その先に小さな風船をつけ、その風船をふくらませて、血管の細くなっている部分を押しひろげて血液の流れをよくするという治療である。

 二度目の入院は、五日間ですんだ。けれども日が重なって、福田さんの告別式に参列できなかった。福田さんは、四十年来、尊敬し、愛読し、たまにはお目にかかって話をうかがった先輩である。けれども、最近は、疎遠になっていた。年賀状だけは毎年交換していたが、今年はいただけなかった。昨年の年賀状に、福田さんは、文壇論壇、美術界すべて、もうどうしようもなくダメだ、音楽はまだ希望が持てる、音楽は科学だから、と書かれていた。そういえば福田さんは、最近、発言なさらない。物言うことがむなしくて、口を絨してしまったのだ、と思った。

 しかし、福田さんが口をつぐんだのでは、この国は、ますますダメになる。戦後、進歩的文化人といわれるどうしようもない人たちが輩出したが、福田さんは彼らを斬りまくった。だからといって、彼ら流の思考が消滅したわけではない。学徒兵の戦争責任を問うシンポジウムを開いた「わたつみ会」などに、進歩的文化人思考が受けつがれているのではないか。今は、つくば市の母子殺し事件についで、中学のいじめ問題が連日テレビで騒がれている。

 佐藤愛子さんは芸能レポーターを、うんこにたかる銀ばえ、と言ったそうだが、その言葉を借りると、ワイドショーのキャスター、レポーター、すべて銀ばえである。オス銀ばえ、メス銀ばえが走りまわって、刑事のように犯人を探し責め立てる。学校を責め、家庭を責め、社会を責める。悪者よ責任を感じているのか、と銀ばえは正義の権化となる。あの責め方と正義の装い、あれは進歩的文化人思考のパターンではないか。つまりは、あれが日本人好みの思考のかたちなのかもしれないな、とさえ思えてくる。

2014年6月10日火曜日

「カウンセリングとネットワーク」

「病院内ではもちろんのこと、外部の、子どもを援助する機関と連携して仕事をすることがよくあります。この連携づくりにおいて、人間関係を大事にしながらネットワークをつくるよう心がけています。そこで、①ネットワークづくりと心の専門家をめざす臨床心理士としてのあり方についてお教えいただきたいのですが。心理療法を行う者が、深く心に寄り添うだけでなく、広く他の人だちと協力していくことについてどのようにお考えでしょうか。②ネットワークづくりの中心に臨床心理士がなっていくのと、他の職種の人が中心となる場合と、どのように違った援助が可能になると思われますか」これも岡田さんからの質問です。クライエントに対して深くかかわろうと思えば、それこそなにもしなくて、ただ会っているだけになります。そこからだんだんいろいろな深い問題が出てきて、少しずつ変わっていくというのが心理療法です。

 ところが、それ自身がすごく大変なことだし、苦しいことですからクライエントの状態によっては、そうしたくてもなかなかできない場合もあります。そういうときには、ある程度は表面的でもいいから、たとえば不登校の子なら、ときどきでも学校へ行くようにしようとか、家庭内暴力の子なら、せめてお母さんを殴ったりしないようにしようとか、とりあえずはクライエントの行動を安定させておきたいということもあります。そうすると、臨床心理をやっている者だけではなく、保母さんやソーシャルワーカー、あるいは保健婦さんや学校の先生など、ほかの分野の人との連携がどうしても必要になってきます。ところが、連携をとるほうばかりにあまりコミットしすぎると、深く心に寄り添うというわれわれの焦点からはずれていきます。われわれにはそのジレンマがいつもつきまといます。岡田さんは大きな病院の小児科におられるわけですが、病院に来られるような人というのは、なかなかむずかしい行動が多いものです。たとえば、夜尿くらいだったらいいけれど、そこらにウンコをまき散らすような子もいるし、それをつかんで投げつける子もいる。

 そういうクライエントの場合、とりあえずそういう行動がなくならない限り、「深く心を・・・」などと言っていられません。しかも、ほかにもクライエントは次々に来るわけですから、その子だけに集中するわけにもいきません。そういう場合は、そうした行動をなだめていく意味で、ほかの分野の人と連携していくことも必要になります。ただ、大事なことは、それを第一義とは思わないこと、自分の焦点を見失わないことです。それはあくまでも当座の便宜としてやるだけで、私たちがそこに焦点づけをしてしまったら、心理療法ではなくなってしまいます。ほかの人たちが、「ウンコを投げなくなって、よかったよかった」と喜んでいても、私たちは自分の焦点をはずさないようにして、これから自分たちの仕事がはじまるのだと思っていなければならないわけです。そうすると、みんなも「自分たちはここで喜んでいるが、臨床心理士はどうも違うところを見ているらしい」と、だんだん気がついてきます。

 しかも、実際に違うところが出てきたりすると、「ああ、こういうところを見ていたのか」とわかってきます。つねに連絡を密にとっていて、「みなさんのおかげで、あの子もウンコをまき散らしたりしないようになりましたが、そのあとでこんな変化があったんですよ」というかたちでこちらから解説していくようにすれば、前述のような心理療法家に対する誤解もだんだんに解けて、正しい姿が理解されるようになるでしょう。その意味でも、連携とかネットワークづくりは有効な手段となりえます。そのときに、ネットワークの中心に心理療法家以外の人がなると、どうしても、ウンコをまき散らさなくなったところで終わってしまいます。私たちはそれから以後のことを考えていますが、ほかの人が喜んでいるのに自分だけ、「いえ、まだほんとうの解決じやありません」などと言うとまた嫌われたりしますから、表面的には一緒になって喜んでいてもいいけれども、心ではさらに先を見ていて、クライエントがその次の段階に入って変わってきたところで、「さらに、こんなになったんですよ」と解説すると、みんなもそういう話を聴きたがるようになってきます。病院でも、看護婦さんがもう少しその話を聴きたがるようになるし、お医者さんまでが聴きに来るということになってくるわけです。

2014年5月23日金曜日

信託とは

私たちは、よく「信託」とか「信託銀行」あるいは「信託会社」という言葉を新聞などで見受けます。「銀行」という以上は、やはり金融機関の一つに違いありませんが、一般の銀行とは多少違っているようです。では一体どういうものでしょうか。それには、まず「信託」という言葉と、その働きから調べていきましょう。

 財産のある人は、たいてい「これをなるべく増やしていこう、それにはどのようにうまく利用していったらいいか」ということを考えるものです。ところが、人によっては、その財産をうまく動かす力がなかったり、また忙しくてその暇がなかったりします。そのほか、自分の財産を何か特別のことに役立てようと思っていても、自分でその目的通りに財産を運用することができないといった場合もありましょう。そのようなとき、信頼できる他の人々にその財産を渡して、その運用や管理を頼んで、自分の希望通りに取り扱ってもらえると非常に便利です。このように、ある目的のために財産を他人に渡して、その管理や処分を依頼することを「信託」と呼びます。

 ここで、ある目的を「信託目的」、信託された財産を「信託財産」といい、財産の管理や処分を頼む人を「委託者」、それを引き受ける人を「受託者」、信託の利益を享受する人を「受益者」といいまナ。そして、受益者が信託の利益を受け取る権利を「受益権」といいます。

 たとえば、父親が信託会社におカネを信託し、学資の支払いとおカネの利殖を依頼し、収益を学資に充て、元本は子供の学業が終わったときに父親に返すことにしたとします。この場合、信託目的は学資の支払いと利殖、信託財産はおカネとなり、委託者は父親、受託者は信託会社、受益者は収益について子供、元本について父親となります。そして、子供と父親は受託者に対してそれぞれ受益権を持つことになるわけです。

2014年5月2日金曜日

鈴木・中曽根行財政改革路

このようにバブルと財政政策との関係は、今まで主として、財政の発動が遅れたとか、過度であったというような、実物経済の需要効果の側面に注意が向けられていた。しかし、バブルヘの影響は、強力な財政再建路線によって、従来国債を通じて流れていた資金運用の道が急に閉ざされ、銀行がカネの使途に困ったことにも一因があったのではないか。

 大企業の銀行離れや過剰流動性によって銀行に資金がダブついた。それと同時に国庫の資金需要の減少が起ったため、銀行が資金の運用先に困り、結果的に不動産融資に向けざるを得なかったという、いわば「財政の金融効果」もバブルに大きな影響を与えたように思う。

 ちなみに、中・長期国債の発行額は、八〇年代前半には毎年約一〇兆円をかなり超えていたが、財政再建路線により八五年から急速に落ちている。政府部門の資金過不足で見ると、八四年までは約一〇兆円の資金不足であったのが、八五年から不足幅は急速に縮小し、バブルのピーク時、八七、八八、八九年には一兆円台の不足幅になっている。

 鈴木・中曽根行財政改革路線は大きな成功を収め、九一年度には念願の赤字公債発行ゼロの目標を達成したのであるが、その裏側にはこのような金融問題をはらんでいた。経済運営に際しては、財政的視点のみならず、幅広く各方面への影響に目配りが必要だ、との教訓もえられよう。

 バブル発生の頃を今から振り返れば、いろいろ反省点はあり、別の対応もあったと思われる。しかし、あの段階において、何といってもわが国全体が自信に満ち溢れて、向かうところ不可能なことはないといった気分に満ちていた。単に短期的な経済変動を微調整することなら、ある程度マクロ経済政策によって可能かもしれない。

 しかし、バブルが発生するときとは、過去の事例を見ても、その国が経済的繁栄のピークにある時である。わが国においても、まさにジャパンーアズーナンバーワン、欧米に学ぶものなし、との雰囲気が横溢しているときであった。そのような乾燥しきった空気の中で、必ずしも適切とは言えないマクロ経済政策によって枯草に油が注がれ、金融機関によって火が点けられたということだったのだろうか。

2014年4月17日木曜日

バブルとは何だったのか

このように個人が積極的に株式投資を行うようになった一つの契機として、八六年から八七年にかけてのNTT株式の売却、及び上場後の株価急騰がある。臨調答申に基づき、三公社の民営化か行われ、先ずNTT株式の売出しが八六年に行われた。NTT株は個人投資家の間で人気を呼んだ。八七年二月の上場後、二ヵ月あまりの間に売出価格の約三倍まで急騰している。NTT株の売却が、結果として、株式投資にかかる自己責任原則が十分に理解されないまま、多くの個人の株式投資に対する関心を高めることにつながった可能性は否定できない。

 いま、バブルがどのようにして起ったのかを振り返ってみた。それはそれでたしかにそうだったなあ、とは思うだろう。しかしそれにしても今になってみれば、何となくキツネにつままれたような気持が残るのも事実である。たしかにバブル現象は随所に感じられた。しかしあの頃、われわれの日常生活がすべての側面でそんなに異常だったとも思えない。実際、株価・地価の高騰や、美術品・海外旅行ブームなどはあったが、それは経済活動全体から見ると、限られた部門での特異な現象であった。あの時代の日常生活、実体経済そのものは比較的落ち着いたものに感じられた。

 例えば、経済成長率を見てみよう。円高不況から一息ついた後のバブルの最盛期、八七年度から九〇年度までの実質成長率(約五%)は、それ以前の八〇年代前半(約三%)に比べると、たしかに高い。しかし、五%程度の成長率自体は、異常なものとまでは言えない。当時経済の第一線で活躍していた人達にとっては、円高不況から脱却して正常な軌道に戻った感じだった。

 私は、八六年から八八年にかけて、経済企画庁で経済の将来展望を作る仕事をしていた。八八年五月にまとまった経済計画では、今後五年間の実質成長率は、経済安定志向の大蔵省と経済活力志向の通産省との妥協の産物として、三・七五%となった。その過程では、学者・エコノミストの中にも四%以上の成長を目標にすべしと強く主張する人が沢山おられ、三%台に収めるのに苦労した記憶がある。