2014年6月10日火曜日

「カウンセリングとネットワーク」

「病院内ではもちろんのこと、外部の、子どもを援助する機関と連携して仕事をすることがよくあります。この連携づくりにおいて、人間関係を大事にしながらネットワークをつくるよう心がけています。そこで、①ネットワークづくりと心の専門家をめざす臨床心理士としてのあり方についてお教えいただきたいのですが。心理療法を行う者が、深く心に寄り添うだけでなく、広く他の人だちと協力していくことについてどのようにお考えでしょうか。②ネットワークづくりの中心に臨床心理士がなっていくのと、他の職種の人が中心となる場合と、どのように違った援助が可能になると思われますか」これも岡田さんからの質問です。クライエントに対して深くかかわろうと思えば、それこそなにもしなくて、ただ会っているだけになります。そこからだんだんいろいろな深い問題が出てきて、少しずつ変わっていくというのが心理療法です。

 ところが、それ自身がすごく大変なことだし、苦しいことですからクライエントの状態によっては、そうしたくてもなかなかできない場合もあります。そういうときには、ある程度は表面的でもいいから、たとえば不登校の子なら、ときどきでも学校へ行くようにしようとか、家庭内暴力の子なら、せめてお母さんを殴ったりしないようにしようとか、とりあえずはクライエントの行動を安定させておきたいということもあります。そうすると、臨床心理をやっている者だけではなく、保母さんやソーシャルワーカー、あるいは保健婦さんや学校の先生など、ほかの分野の人との連携がどうしても必要になってきます。ところが、連携をとるほうばかりにあまりコミットしすぎると、深く心に寄り添うというわれわれの焦点からはずれていきます。われわれにはそのジレンマがいつもつきまといます。岡田さんは大きな病院の小児科におられるわけですが、病院に来られるような人というのは、なかなかむずかしい行動が多いものです。たとえば、夜尿くらいだったらいいけれど、そこらにウンコをまき散らすような子もいるし、それをつかんで投げつける子もいる。

 そういうクライエントの場合、とりあえずそういう行動がなくならない限り、「深く心を・・・」などと言っていられません。しかも、ほかにもクライエントは次々に来るわけですから、その子だけに集中するわけにもいきません。そういう場合は、そうした行動をなだめていく意味で、ほかの分野の人と連携していくことも必要になります。ただ、大事なことは、それを第一義とは思わないこと、自分の焦点を見失わないことです。それはあくまでも当座の便宜としてやるだけで、私たちがそこに焦点づけをしてしまったら、心理療法ではなくなってしまいます。ほかの人たちが、「ウンコを投げなくなって、よかったよかった」と喜んでいても、私たちは自分の焦点をはずさないようにして、これから自分たちの仕事がはじまるのだと思っていなければならないわけです。そうすると、みんなも「自分たちはここで喜んでいるが、臨床心理士はどうも違うところを見ているらしい」と、だんだん気がついてきます。

 しかも、実際に違うところが出てきたりすると、「ああ、こういうところを見ていたのか」とわかってきます。つねに連絡を密にとっていて、「みなさんのおかげで、あの子もウンコをまき散らしたりしないようになりましたが、そのあとでこんな変化があったんですよ」というかたちでこちらから解説していくようにすれば、前述のような心理療法家に対する誤解もだんだんに解けて、正しい姿が理解されるようになるでしょう。その意味でも、連携とかネットワークづくりは有効な手段となりえます。そのときに、ネットワークの中心に心理療法家以外の人がなると、どうしても、ウンコをまき散らさなくなったところで終わってしまいます。私たちはそれから以後のことを考えていますが、ほかの人が喜んでいるのに自分だけ、「いえ、まだほんとうの解決じやありません」などと言うとまた嫌われたりしますから、表面的には一緒になって喜んでいてもいいけれども、心ではさらに先を見ていて、クライエントがその次の段階に入って変わってきたところで、「さらに、こんなになったんですよ」と解説すると、みんなもそういう話を聴きたがるようになってきます。病院でも、看護婦さんがもう少しその話を聴きたがるようになるし、お医者さんまでが聴きに来るということになってくるわけです。