2013年7月5日金曜日

外交政策としてのNAFTA

NAFTAにともなうアメリカの雇用、環境面のコストはごく小さいものであるが、国民はそうは考えない。また、NAFTAはアメリカにとってたしかに経済効果があるが、その程度はわずかなものである。とすれば、こう問うてみたくなる。クリントン政権はなぜ、残り少なくなった政治力を使い果たしてまで、不人気で経済効果も少ないNAFTAを成立させる必要があるのだろうか。それは、メキシコ政府がNAFTAを必要としているからだ。そして、メキシコ政府を支援することが、アメリカの国益になるからだ。

サリナス政権が民主的政権の模範であるとは言いがたいが、アメリカから見れば、両国の歴史上、最良の政権である。サリナス政権は自由化を柱とする経済改革に取り組んでおり、長年の反米姿勢をなんとか払拭しようとしている。大統領選挙はまだ完全な自由選挙とはなっていないが、自由化、民主化が進んでいることはたしかだ。つい最近まで、アメリカの情報関係者はメキシコを警戒していた。債務危機と石油価格の急落によって打撃を受けていることから、急進政権が誕生して、アメリカの安全保障にとって脅威になりかねないと見ていたのだ。そのメキシコに、友好政権が誕生したのだから、国務省にとっては願ってもないことである。

しかし、長期的に見て、メキシコの改革が成功するという保証はない。サリナス政権は経済の自由化、とりわけ貿易の自由化を大胆に進めている。最高関税率は一〇〇パーセントから二〇パーセントに引き下げられ、許認可が必要な輸入品目は九三パーセントから四分の一以下に削減された。こうした改革が実ってメキシコは海外投資家の信認を回復し、一九九〇年以降、巨額の資本が流入している。しかし、いちばん重要な点については、いまのところ成果と呼べるようなものはない。つまり、一般市民の生活水準が改善していないのだ。たしかに、九〇年には八年にわたる経済停滞を脱し、メキシコ経済は成長軌道に戻った。しかし、経済成長率は労働人口の伸び率に追いつくのがやっとであり、八〇年当時とくらべて失業率ははるかに高く、実質賃金ははるかに低くなっている。

エコノミストの多くは、メキシコの改革がいずれ大きな実を結ぶと見ている。しかし、そうなるまでに、成長の回復を支えてきた国民や海外投資家がしびれを切らし、改革路線に見切りをつける恐れがつきまとう。アメリカとの自由貿易を推進するというサリナス大統領の決断は、こうした背景のもとで考えるべきである。サリナス政権にとって、NAFTAは一種の政治公約である。海外投資家に対してはメキシコが改革を継続すること(そして、アメリカがメキシコ製品に対して市場を開放しつづけること)を、国民に対してはよい時代が訪れることを約束しているのだ。

後知恵にすぎないが、サリナス政権はNAFTAを提案しない方がよかったともいえる。NAFTAがなくても、メキシコは、一九八〇年代半ば以来進めてきた貿易自由化路線をおそらく継続していただろう。それによって、すでにメキシコの工業製品に対してかなり開放されているアメリカ市場を利用することができ、自由貿易協定を正式に提案することで反対派を刺激する必要はなかった。しかし、いまさら後戻りはできない。交渉がまとまった以上、アメリカがNAFTAを批准しなければ、サリナス政権は大きな打撃を受けることになろう。