2013年7月5日金曜日

アジアの奇跡という幻想

NAFTAが不成立に終わった場合、どうなるか、だれもたしかなことはいえない。メキシコが冷静に受けとめて、改革を続ける可能性もないとはいえない。しかし、深刻な事態になる可能性の方がはるかに高い。改革が成功する保証がないことに投資家が気づいて、金融危機が起こる恐れがある。その一方で、カルデナス(前回の大統領選挙で、同氏が当選していたとしても不思議ではなかった)らのポピュリストが、友好国に対するアメリカの仕打ちを言い立てサリナス政権を非難し、政治危機に発展する恐れもある。

アメリカがNAFTAを受け入れないとすれば、それは、メキシコに向かって、両国の関係が険悪だった時代に逆戻りしようと言っているのも同然だ。アメリカにとって、NAFTAは雇用問題ではない。ましてや経済成長や生産性の問題でもない。友好政権の成功を助けるために、アメリカとしてできることを実行するかどうかを問われているのだ。NAFTAについて、まったく不合理な恐れを抱いて、国境の南に非友好的な政権、まして敵対的な政権をつくりだすとすれば、アメリカは歴史に汚点を残すことになるだろう。

かつて、欧米のオピニオン・リーダーは、東の諸国の驚異的な経済成長率に感心する一方で脅威を抱いていた。経済の水準や規模では欧米にはるかに及ばないものの、農業国から工業国へと急速に脱皮し、先進国の数倍もの成長率を続け、一部の分野では欧米の技術に追いつき追い越そうとしていた。これが、欧米の経済力とイデオロギーの優位に疑問を投げかけているように思えた。東の指導者は欧米と違って、市場経済を信奉しておらず、市民的自由を無制限に認めてはいなかった。そして、東の体制の方が優れていることに自信を深め、こう主張した。東の社会は、強大な国家権力や独裁体制を受け入れ、公共の利益のためには個人の自由を制限し、経済を管理し、長期的な経済成長のために短期的な消費者利益を犠牲にすることもいとわない。東の諸国はいずれ、混迷するいっぽうの欧米諸国を追い抜くことになる。

こうした主張に対し、欧米の識者のなかにも少数とはいえ賛同する者が増えていた。欧米が経済成長率で東に水をあけられたことは、政治問題に発展した。民主党は、「国の再生」を公約に掲げた若く精力的な大統領候補を立て、政権を取り戻した。大統領とそのブレーンにとって、国の再生とは、東の挑戦を受けて立ちアメリカの経済成長を加速することであった。これはいうまでもなく、一九六〇年代はじめの話である。若く精力的な大統領とは、ジョン・F・ケネディである。そして、急速な経済成長をとげている東の諸国とは、ソ連とその衛星国だ。西側が東側の技術力をこれほどまでに警戒するようになった背景には、スプートニクの打ち上げに象徴される宇宙開発競争でのソ連のリードがあった。

一九五〇年代には、共産主義国の経済成長を取り上げ、脅威を訴える本や記事が相次いで登場したが、その一方で、共産主義国の経済成長の要因を綿密に分析し、定説とはかなり違う見方をする経済学者もいた。たしかに、東側の成長率は高いが、それは不思議でもなんでもない。生産の急速な増加は、投入の急速な増加によってすべて説明できる。投入の増加とは、雇用の拡大、教育水準の向上、さらにもっとも重要なものとして物的資本への膨大な投資のことである。こうした投入の増加を考慮すれば、生産の伸び率はおどろくほどではない。ソ連の経済成長で意外な点は、ごくあたりまえの要因で説明できることの方であった。