2016年3月12日土曜日

変動相場制の経済論理

ここで、このEMUと国際通貨体制の変動との関連を整理しておかなくてはならない。EMUが発足したのは、一九六七年のIMF条約の改正後、ニクソン特別声明の直前である。すでに崩壊過程にあったブレトンウッズ体制の中で、ECは着々と未来の通貨体制の準備を整えつつあったのである。その変化の中でやがて基軸通貨の交代劇が演ぜられるであろうというのが当時のわたくしの持った予感であった。この予感が確信に変わったのは、EC共通通貨政策の進行を目の当たりにしてからであった。

 金価値保証による基軸通貨ドルに、各国通貨が一定の固定シートでつながるIMF体制は、一九七一年八月のニクソン特別声明で大きな転換を余儀なくされた。一オンス三五ドルという公定価格に替わって、ドル価値は市場の変動にさらされることになった。同時に各通貨の対ドル・レートも市場で決定されることになった。

 同年一月にスミソニアン博物館で開かれた先進国蔵相会議では、ひとまず限定変動相場制(変動幅四一五パーセント)で事態を乗り切ろうとしたが、やがて国際為替市場は完全な変動相場制に移行していったのである。

 基軸通貨であるドルが金価値保証を失っていった経過にはすでに触れたが、これまでの国際通貨体制全体がもはや時代の流れにそぐわなくなっていたことをこの事件は示している。国際経済全体で進行している産業構造の変化、技術進歩の国際間格差の拡大という情勢の下で、各国の為替レートを固定しておくということは市場原理にそぐわないことである。

 一つの例を挙げておこう。日本は戦後長い同一ドル九二六〇円という固定レートで経済運営を行ってきた。その間、日本の産業構造は高度化し、めざましい技術進歩を遂げた。その結果、鉄鋼産業や自動車産業という基幹部門での国際競争力はアメリカのそれを上回るほどになった。それなのに、円の対ドルーレートは固定されたままであったのである。