2014年7月23日水曜日

聞くのは嘆き節ばかり

ちょうど国土庁時代の知り合いが農林省にいて、うまく解決策を出してくれて一件落着した。そこで、町民が喜んで感謝状を出したいということになった。ところが、「県庁のオエラ方に感謝状を出すのは失礼だ」と町では議論沸騰したが、結局、牛からの感謝状なら問題なかろうと、牛の鼻紋の押された感謝状をいただいた。今でも大事にとってあるが、牛の鼻紋付き感謝状は全国でもそう例はなかろう。

 こんなエピソードを残しつつ、四年間私は地域づくりの原点というものを見つめていた。その原点とは、地域づくりは行政主導では長続きしないし、根づかない。むしろ行政に背を向けたところから始まる。行政は先にたってやるのではなく、ヤル気のある者を応援する。そういう姿勢が大切だということであった。

 だが、大山町や湯布院町のような若者たちばかりが全県にいるわけではない。大分県の方言に「よだきい」というのがある。面倒くさい、あまりやりたくない、投げやり、無責任、口先ばかりで実行が伴わない。そんなニュアンスがこの方言には込められている。

 大分県の歴史をみると、かつてキリシタン大名で有名な大友宗麟(一五三〇-八七年)が、フランシスコーザビエルが府内(大分市)を訪れたのを機に、自ら洗礼を受け、フランシスコ・宗麟と改名し、ポルトガルとの貿易、つまり南蛮貿易をすすめた。当時の文献によると、日本で初めて西洋音楽が吹奏されたのは府内であったといわれているし、また若きポルトガルの医師アルメイダが、日本で初めて西洋の外科手術を施したのもこの地であったといわれている。一六世紀の頃、ポルトガルで作成された日本地図(現在、九州大学蔵)では九州の中央に(豊後)と記入されている。豊後とは大分地方の旧称で、当時、大友宗麟の勢威が九州全体に及んでいたことを示している。

2014年7月9日水曜日

「チューリップ投機」

確かなことは、政府の介入を最小限にとどめようとすればするほど、自己責任が大きくなるということである。そして残念ながら、従来の日本は「自己責任社会」とは遠くかけ離れていたという事実である。株の売買は、すぐれて自己責任の世界である。しかし、損をしたといって政府を訴えるケースが実際にあった。

 日本の株式市場はニューヨーク市場の活況とは裏腹に、一九八九年末のピーク時の水準から大きく落ち込んだまま長期低迷を続けているが、一九九〇年当時、民営化に伴って放出されたNTT株の下落が問題になった。「大蔵省がついているから絶対にもうかる」といわれて買ったのに株価が下がったというので、損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした投資家がいたのだ。

 大蔵省は売却益を社会資本整備事業に充てることにしたので、できるだけ高値で放出したいと考え、証券会社への「行政指導」を通じて株価維持をぱかったことは事実だ。なかには「大蔵省がついているから」と投資家を誘った証券会社もあったことは容易に想像できる。最初の放出株が当時のバブルの波に乗って大幅に値上がりしたせいもあり、それまで株式市場とは無縁だった人々を巻き込んで投資層を大きく広げる効果があった。証券会社は「NTT効果」と呼んで、家庭の主婦にまで財テクを呼びかけたものだった。

 第二次放出の株価は二百五十万円だった。それが。バブルの崩壊で八十万円台にまで下がった。「どうしてくれる」という投資家の気持ちはわからないでもないが、損害賠償を求めて裁判に訴えたところで勝つ見込みがないことは初めから明らかだった。冷静に考えれば、株で損して裁判沙汰にすることの滑稽さがわかろうというものだ。

 しかし、十七世紀にオランダで起きた「チューリップ投機」でも、これに絡んで破産した人々は政府を訴えて裁判を起こしている。これはバブル経済の愚かさを示す典型的な事件として世界的に知られた話だが、チューリップ投機がだんだんエスカレートして、現物だけでなく、翌年取れる予定の球根にまで値がつけられたり、翌年の球根を一定の値段で買う権利だけを売買するようになった。いまでいう先物取引であり、オプション取引である。