2016年4月13日水曜日

王制にとっての新たな課題

プーミポン国王は、若い時期には年間二〇回を超える地方巡幸をこなし、「タイ民族とは仏教に帰依し国王を崇敬するひとびと」という信条を創出していった。また、プーミポン国王は、ジャズ、カメラ、ヨットレースをこよなく愛するひととして、国民の間で親しまれている。国王が金曜日に主催するジャズコンサートの様子を書いた本が、「ハリーポッター」(タイ語訳)を抑えてベストセラーのトップになる国は、タイ以外にはないだろう。このことは、国王の威信が国王のパーソナリティと不可分の関係にあることを示唆する。ただし、国王の威信が国王の個人的なパーソナリティと強く結びつくと、王制にとって新たな課題が生じる。課題は二つある。

 第一は、国王に対抗する強烈なパーソナリテーイをもった指導者や「強い首相」が登場した場合の問題である。実際、タックシン元首相の挑戦がそれであった。彼は王制よりは世界資本主義がタイ社会の将来を規定すると考え、「市場原理に帰依し、タックシンを崇敬するひとびと」をタイ国民と捉えた。「国の柱」を「民族・世界資本主義・強い首相」に変えようとしたのである。仮にタックシンを駆逐したとしても、タックシンのような指導者が二度とでてこないという保証はない。出てくれば、再び政治に混乱を招くだけであろう。「強い首相」と「強い国王」は、本来的に相いれないからだ。

 第二は、王位継承の課題である。国王が理念的な存在ではなく、高徳の士で行動的な元首であればあるほど、新しい国王はこれを上回る人徳(バラミー)と行動を国民に示さなければならない。これは新しい国王にとって大きな負荷となろう。より大きな責務と役割を支えるのは個人ではなく王室かもしれない。「在位六〇年」を転機に王室一家が浮上してきたのは、国王・皇太子・皇孫という三世代にわたる縦の流れの系統性(万世一系)と、責務と役割を王族の間で分担する横の広がり(国民の父ではなく国民の家族)の双方を確保することで、王室と王制の安定を図ろうとしている、とみるのは穿ちすぎであろうか。

2016年3月12日土曜日

変動相場制の経済論理

ここで、このEMUと国際通貨体制の変動との関連を整理しておかなくてはならない。EMUが発足したのは、一九六七年のIMF条約の改正後、ニクソン特別声明の直前である。すでに崩壊過程にあったブレトンウッズ体制の中で、ECは着々と未来の通貨体制の準備を整えつつあったのである。その変化の中でやがて基軸通貨の交代劇が演ぜられるであろうというのが当時のわたくしの持った予感であった。この予感が確信に変わったのは、EC共通通貨政策の進行を目の当たりにしてからであった。

 金価値保証による基軸通貨ドルに、各国通貨が一定の固定シートでつながるIMF体制は、一九七一年八月のニクソン特別声明で大きな転換を余儀なくされた。一オンス三五ドルという公定価格に替わって、ドル価値は市場の変動にさらされることになった。同時に各通貨の対ドル・レートも市場で決定されることになった。

 同年一月にスミソニアン博物館で開かれた先進国蔵相会議では、ひとまず限定変動相場制(変動幅四一五パーセント)で事態を乗り切ろうとしたが、やがて国際為替市場は完全な変動相場制に移行していったのである。

 基軸通貨であるドルが金価値保証を失っていった経過にはすでに触れたが、これまでの国際通貨体制全体がもはや時代の流れにそぐわなくなっていたことをこの事件は示している。国際経済全体で進行している産業構造の変化、技術進歩の国際間格差の拡大という情勢の下で、各国の為替レートを固定しておくということは市場原理にそぐわないことである。

 一つの例を挙げておこう。日本は戦後長い同一ドル九二六〇円という固定レートで経済運営を行ってきた。その間、日本の産業構造は高度化し、めざましい技術進歩を遂げた。その結果、鉄鋼産業や自動車産業という基幹部門での国際競争力はアメリカのそれを上回るほどになった。それなのに、円の対ドルーレートは固定されたままであったのである。