次に「スーリヤーナマスカール」という太陽に捧げる祈りを行なう。これは昇り行く朝日や、沈み行く夕日に対して、マントラを唱えながら、合唱した手を天に突き上げたり、腕立て伏せのようなことをしたりするヨーガの一種で、RSSのシャーカーに限らず広くインド全土のヨーガ道場などで行なわれているものである。さらに、これに続いて、さまざまなヨーガや武術の訓練が行なわれる。この訓練の中では、タンターといわれる竹製の警棒を用いた武術の訓練か中心となることが多い。このタンターの訓練では、列を作り号令にあわせて竹製の棒を振りかざしたり、方向転換をしながらその棒を振り下ろしたりする。私の調査したシャーカーでは、型を習得することに力点がおかれており、実践的な訓練はあまりなされていなかった。そのためかどうかはわからないか、彼らは概してそれほど強くない。
剣道と柔道を少しかじったことのある私は、彼らに何度か勝負を挑んだことかあるか、いつもものの数秒でけりがつく。私か剣道の構えをした瞬間に、彼らの腰は引けてしまい、竹の棒を振りかざした瞬間に後退してしまう。あとは鬼ごっこのように追い掛け回し「かった」と言わせるだけである。また一度、生意気な若いメンバーを背負い投げで投げ飛ばしたことかあったか、その時以来、私はそのレヤーカーで一目置かれるようになった。「タケシは強いな。やっぱりジャッキー・チェーンの国から来ただけはある」
「いやいや、ジャッキー・チェーンは香港の人だよ。俺は日本人」そんなことを言いながら、みんなで笑いあっている。「これで戦闘に行けるのだろうか?」と、こちらか逆に首を傾げてしまう。そして、その後、カバディなどのインドの伝統スポーツを行なう。これはかなり楽しい。みんな真剣になってやるので、私もつい夢中になり、息が上がるぐらいまで走り回ってしまう。調査をしていることをすっかり忘れて、ゲームに勝つことに集中してしまう。ここまでのトレーニングを終えると、夏場はたいてい汗でぐっしょりになる。このようなトレーニングを毎日毎日、朝夕の二回続けることは予想以上に大変である。日本で朝方に寝て昼前に起きる不健康な生活を送っている私にとっては、かなりきつい。
さて、このような身体訓練の後、知的訓練か始まる。この知的訓練は、多くの場合、全員か一つの輪になり、座った状態で行なわれる。まず、選ばれた人物かマントラや賛歌を斉唱し、その後を追う形で、参加者全員かそのマントラや賛歌を同様に斉唱する。それか終わると、教育係による訓話か始まる。この訓話は、ヒンドゥーの神々の話やマントラの意味の説明など、宗教訓話であることか多いか、時にはインド独立運動の志士をたたえる話や歴史的英雄の話などかされることもある。また、ここでRSSの主催するイベントの情報などか通知され、それへの動員が図られる。これに続いて、教育係とメンバーの問答が交わされる。これは、教育係が質問を出し、指名されたメンバーが答える形で進められる。ここでは、出された質問に対して、メンバーは決められた答えを正確に答えることが要求される。さらに、この後、参加者全員での討論会か行なわれる。ここでは、日常生活に関することから政治の話まで、幅広い話題か討論される。
最後に、再び参加者全員か整列しマントラを唱え、全員で声を合わせて「バーラトーマーター・キージャイ」(「母なるインドに勝利を」の意)と唱える。そして、立てていた旗をたたみ、それに一礼して一回のシャーカーが終わる。「回れ右!」このシャーカーに参加していて私か最も驚いたのは、整列・行進の訓練の時である。アヨーディヤーのシャーカーに参加する若者達は、概して、この整列・行進か上手くできないのである。まず、号令にあわせて同じ行動をとることか上手くない。「全体、前へ進め!」そうグループリーダーが声をかけても、必ず数人の出だしの一歩目のタイミングか狂う。そうすると後ろの人間が前の人間とぶつかり列が乱れ、収拾かつかなくなる。これか毎日毎日続き、教育係がいつも大声でしかる。さらに、行進をする際に、手と足の動きか揃うことなど、まずもってない。数人は右手と右足、左手と左足が一緒にでる。二、二、一、二」と声をかけなから行進をするか、声と手足の動きかうまく合っておらず、全体が全く揃っていない。
2013年11月7日木曜日
2013年8月28日水曜日
ドブに金を捨てるような事業
たしかにその通りだ。一九八〇年頃、北部の沖縄市や南部の南風原町を訪ねことがあるたが、まだ未舗装の道路がたくさんあって、前方にトラックなどが走っていると、土ぼこりが車内まで侵入してきてひどい目にあったものだ。ところが、今では沖縄で舗装されていない道路を見つけるほうがむずかしい。私は一九七七年に、取材で一ヵ月ほど読谷に滞在したが、夕方に帰ってくると顔から鼻の中まではこりだらけだった。こんな生活環境を何とかしようと、政府は「沖縄振興開発計画」を策定して、積極的にインフラを整備したことは述べた通りである。
振興開発計画は沖縄だけでなく、開発庁がおかれた北海道にもあったが、両者は大きく違っていた。北海道の場合、国が開発計画を決定するが、沖縄は振興法第四条によって、沖縄県知事が振興計画案を立て、それを内閣総理大臣が決定主導する。つまり、沖縄県の意向が尊重されるようになっているのだ。至れり尽くせりとまでは言わないが、北海道に比べたらはるかに優遇されていた。ところが、なぜか振興開発予算の多くは、道路や港湾、空港などの整備に集中的に使われてきた。初期の頃ならそれでもよかった。しかし、第一次および第二次沖縄開発振興計画の二〇年間で、ほぼ本土並みにインフラが整備されたにもかかわらず、まだまだ整備が足りないとばかりに、道路やハコモノに補助金が投入された。
沖縄にかぎらず、失業率が高い地方では、公共事業はそのものが目的ではなく、雇用を拡大するための社会保障として利用されることはよくある。社会保障が薄く、都市集中が激しい日本では必要悪でもあるが、それでも沖縄の場合はちょっと異常である。国に言われるまま、補助金を公共事業にばらまいてきたとしたら、これは沖縄県の怠慢以上に犯罪的行為だろう。八人に一人は建設業界で飯を食っている。九〇年代後半だったが、当時、私か親しくしていた重機のリース会社社長にこう言ったことがある。「今北部の道路を舗装してるんだが、舗装をやり直す必要がないのに、道路を壊してアスファルトを流しているんだ。聞けば、もう沖縄には舗装する道路がなくなり、仕方がないから古いところから塗り替えるているらしい」 これをおかしいと気づいた県職員もいた。
ハードをいくらつくっても、住民はちっとも幸せにならないことに悩み、もっと別のところにお金を使うべきだと提案したそうである。しかし、何も変わらなかったという。 おそらくその理由は、沖縄における建設業の比重だろう。過去に八兆五〇〇〇億円以上もの国家予算をつぎ込み、その多くを公共工事に回したおかげで、沖縄には膨大な数の建設業者が誕生した。行政に頭さえ下げれば仕事を回してもらえるのだから、食いっぱぐれることはない。大手建設会社に何年か勤めると、独立開業する人たちが後を絶たなかった。
こうして、沖縄最大の國場組を筆頭にした十数社の大手建設業者の下に、膨大な数の中小建設業者がひしめき合うというヒエラルキー的構図ができあがったのである。何年か前だったが、県内の新聞に、建設業者の数が四〇〇社をこえたという記事を見て、さすがに多いなあと感心したものだが、よく読むと、四〇〇社というのは宮古島だけの数で、沖縄全島では五五〇〇社をこえるそうである。八人に一人はこの業界で飯を食っているというから途方もない数なのだ。そしてもうひとつの理由は、たとえドブに金を捨てるような事業でも、この国の官僚はいったん走り出したら止まらない。アレックスーカーのいうブレーキのない戦車のようなもので、沖縄県の役人もそれと大差なかったということだろう。
振興開発計画は沖縄だけでなく、開発庁がおかれた北海道にもあったが、両者は大きく違っていた。北海道の場合、国が開発計画を決定するが、沖縄は振興法第四条によって、沖縄県知事が振興計画案を立て、それを内閣総理大臣が決定主導する。つまり、沖縄県の意向が尊重されるようになっているのだ。至れり尽くせりとまでは言わないが、北海道に比べたらはるかに優遇されていた。ところが、なぜか振興開発予算の多くは、道路や港湾、空港などの整備に集中的に使われてきた。初期の頃ならそれでもよかった。しかし、第一次および第二次沖縄開発振興計画の二〇年間で、ほぼ本土並みにインフラが整備されたにもかかわらず、まだまだ整備が足りないとばかりに、道路やハコモノに補助金が投入された。
沖縄にかぎらず、失業率が高い地方では、公共事業はそのものが目的ではなく、雇用を拡大するための社会保障として利用されることはよくある。社会保障が薄く、都市集中が激しい日本では必要悪でもあるが、それでも沖縄の場合はちょっと異常である。国に言われるまま、補助金を公共事業にばらまいてきたとしたら、これは沖縄県の怠慢以上に犯罪的行為だろう。八人に一人は建設業界で飯を食っている。九〇年代後半だったが、当時、私か親しくしていた重機のリース会社社長にこう言ったことがある。「今北部の道路を舗装してるんだが、舗装をやり直す必要がないのに、道路を壊してアスファルトを流しているんだ。聞けば、もう沖縄には舗装する道路がなくなり、仕方がないから古いところから塗り替えるているらしい」 これをおかしいと気づいた県職員もいた。
ハードをいくらつくっても、住民はちっとも幸せにならないことに悩み、もっと別のところにお金を使うべきだと提案したそうである。しかし、何も変わらなかったという。 おそらくその理由は、沖縄における建設業の比重だろう。過去に八兆五〇〇〇億円以上もの国家予算をつぎ込み、その多くを公共工事に回したおかげで、沖縄には膨大な数の建設業者が誕生した。行政に頭さえ下げれば仕事を回してもらえるのだから、食いっぱぐれることはない。大手建設会社に何年か勤めると、独立開業する人たちが後を絶たなかった。
こうして、沖縄最大の國場組を筆頭にした十数社の大手建設業者の下に、膨大な数の中小建設業者がひしめき合うというヒエラルキー的構図ができあがったのである。何年か前だったが、県内の新聞に、建設業者の数が四〇〇社をこえたという記事を見て、さすがに多いなあと感心したものだが、よく読むと、四〇〇社というのは宮古島だけの数で、沖縄全島では五五〇〇社をこえるそうである。八人に一人はこの業界で飯を食っているというから途方もない数なのだ。そしてもうひとつの理由は、たとえドブに金を捨てるような事業でも、この国の官僚はいったん走り出したら止まらない。アレックスーカーのいうブレーキのない戦車のようなもので、沖縄県の役人もそれと大差なかったということだろう。
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