このようにバブルと財政政策との関係は、今まで主として、財政の発動が遅れたとか、過度であったというような、実物経済の需要効果の側面に注意が向けられていた。しかし、バブルヘの影響は、強力な財政再建路線によって、従来国債を通じて流れていた資金運用の道が急に閉ざされ、銀行がカネの使途に困ったことにも一因があったのではないか。
大企業の銀行離れや過剰流動性によって銀行に資金がダブついた。それと同時に国庫の資金需要の減少が起ったため、銀行が資金の運用先に困り、結果的に不動産融資に向けざるを得なかったという、いわば「財政の金融効果」もバブルに大きな影響を与えたように思う。
ちなみに、中・長期国債の発行額は、八〇年代前半には毎年約一〇兆円をかなり超えていたが、財政再建路線により八五年から急速に落ちている。政府部門の資金過不足で見ると、八四年までは約一〇兆円の資金不足であったのが、八五年から不足幅は急速に縮小し、バブルのピーク時、八七、八八、八九年には一兆円台の不足幅になっている。
鈴木・中曽根行財政改革路線は大きな成功を収め、九一年度には念願の赤字公債発行ゼロの目標を達成したのであるが、その裏側にはこのような金融問題をはらんでいた。経済運営に際しては、財政的視点のみならず、幅広く各方面への影響に目配りが必要だ、との教訓もえられよう。
バブル発生の頃を今から振り返れば、いろいろ反省点はあり、別の対応もあったと思われる。しかし、あの段階において、何といってもわが国全体が自信に満ち溢れて、向かうところ不可能なことはないといった気分に満ちていた。単に短期的な経済変動を微調整することなら、ある程度マクロ経済政策によって可能かもしれない。
しかし、バブルが発生するときとは、過去の事例を見ても、その国が経済的繁栄のピークにある時である。わが国においても、まさにジャパンーアズーナンバーワン、欧米に学ぶものなし、との雰囲気が横溢しているときであった。そのような乾燥しきった空気の中で、必ずしも適切とは言えないマクロ経済政策によって枯草に油が注がれ、金融機関によって火が点けられたということだったのだろうか。
2014年5月2日金曜日
2014年4月17日木曜日
バブルとは何だったのか
このように個人が積極的に株式投資を行うようになった一つの契機として、八六年から八七年にかけてのNTT株式の売却、及び上場後の株価急騰がある。臨調答申に基づき、三公社の民営化か行われ、先ずNTT株式の売出しが八六年に行われた。NTT株は個人投資家の間で人気を呼んだ。八七年二月の上場後、二ヵ月あまりの間に売出価格の約三倍まで急騰している。NTT株の売却が、結果として、株式投資にかかる自己責任原則が十分に理解されないまま、多くの個人の株式投資に対する関心を高めることにつながった可能性は否定できない。
いま、バブルがどのようにして起ったのかを振り返ってみた。それはそれでたしかにそうだったなあ、とは思うだろう。しかしそれにしても今になってみれば、何となくキツネにつままれたような気持が残るのも事実である。たしかにバブル現象は随所に感じられた。しかしあの頃、われわれの日常生活がすべての側面でそんなに異常だったとも思えない。実際、株価・地価の高騰や、美術品・海外旅行ブームなどはあったが、それは経済活動全体から見ると、限られた部門での特異な現象であった。あの時代の日常生活、実体経済そのものは比較的落ち着いたものに感じられた。
例えば、経済成長率を見てみよう。円高不況から一息ついた後のバブルの最盛期、八七年度から九〇年度までの実質成長率(約五%)は、それ以前の八〇年代前半(約三%)に比べると、たしかに高い。しかし、五%程度の成長率自体は、異常なものとまでは言えない。当時経済の第一線で活躍していた人達にとっては、円高不況から脱却して正常な軌道に戻った感じだった。
私は、八六年から八八年にかけて、経済企画庁で経済の将来展望を作る仕事をしていた。八八年五月にまとまった経済計画では、今後五年間の実質成長率は、経済安定志向の大蔵省と経済活力志向の通産省との妥協の産物として、三・七五%となった。その過程では、学者・エコノミストの中にも四%以上の成長を目標にすべしと強く主張する人が沢山おられ、三%台に収めるのに苦労した記憶がある。
いま、バブルがどのようにして起ったのかを振り返ってみた。それはそれでたしかにそうだったなあ、とは思うだろう。しかしそれにしても今になってみれば、何となくキツネにつままれたような気持が残るのも事実である。たしかにバブル現象は随所に感じられた。しかしあの頃、われわれの日常生活がすべての側面でそんなに異常だったとも思えない。実際、株価・地価の高騰や、美術品・海外旅行ブームなどはあったが、それは経済活動全体から見ると、限られた部門での特異な現象であった。あの時代の日常生活、実体経済そのものは比較的落ち着いたものに感じられた。
例えば、経済成長率を見てみよう。円高不況から一息ついた後のバブルの最盛期、八七年度から九〇年度までの実質成長率(約五%)は、それ以前の八〇年代前半(約三%)に比べると、たしかに高い。しかし、五%程度の成長率自体は、異常なものとまでは言えない。当時経済の第一線で活躍していた人達にとっては、円高不況から脱却して正常な軌道に戻った感じだった。
私は、八六年から八八年にかけて、経済企画庁で経済の将来展望を作る仕事をしていた。八八年五月にまとまった経済計画では、今後五年間の実質成長率は、経済安定志向の大蔵省と経済活力志向の通産省との妥協の産物として、三・七五%となった。その過程では、学者・エコノミストの中にも四%以上の成長を目標にすべしと強く主張する人が沢山おられ、三%台に収めるのに苦労した記憶がある。
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