2015年9月12日土曜日

保健センターという試み

もう一〇年も前の話だが、関西の私立の医科大学病院から1ヵ月間の医療費請求額五〇〇〇万円というレセプト(医療費の請求書)が出たことがある。このレセプトを見た内科の専門医たちは一人を除いて異口同音に「これだけの薬を投与したら患者は死んでしまう」といったが、患者は生きていた。専門医の一人だげが「こんなに投与できるわげはない。書類だげの投薬でしょう」と答えたが、これが正解だったという話もある。

 それにしても、人間が死ぬ前の医療費は非常に高い。これを香奥医療と呼んでいて、かつては、支払基金(健康保険で医療費を支払うさいの取扱い機関)でも審査しなかった時代もある(いまはちがう)。この費用は計算の仕方がいろいろあるが、少なくとも総医療費の三~五パーセントぐらいを占めているといわれている。

 末期の医療を辞退するということで、入院前にその旨を明記して病院に提出すれば、病院は無理な治療はしないということになっているが、本人はともかく、家族は少しでも生きていることを希望することも多い。この極端なケースが「脳死」のときだろう。脳死は再び意識が戻ることはないが、首から下は機器につながれて″生きて″いる。ときには何年もこの状態で生き続けることもある。この状態をはたして「生きている」ということができるのかどうかも議論の対象になっているが、同時に、医療費もかかる。このあたりぱ、国民もよく考えてみるべきだと思う。

 私たちは医療費を減らすというと、薬剤費を削減するとか、臨床検査の一括請求とか、一部負担をふやすとか、平均在院日数の短縮とかいったことを考える。たしかにこういった施策は医療費を減らすことに効果があるのは事実である。しかし、こういったことだけか医療費削減の方策なのではない。ほかにも手法のちがったことで効果のある方法もある。

 薬代を削減する、平均在院日数の短縮といったものを、寓話にある北風だとすれば、ホカホカと太陽が照らすことによってオーバーを脱がせるといった方法もある。とかく、こちらのほうは人の目に触れないし、迫力がないということもある。