2015年2月13日金曜日

自浄能力の限界

私にとって気がかりだったのは、事件そのものもさることながら、その後一年経っても犯人が検挙される気配もなく、どうやら迷宮に入ってしまいそうなことであった。これでは金融界の伝統的な手法により、不良債権問題を時間をかけてソフトランディングさせようとしても、その間に闇の中にカネが吸い込まれてしまうのではないか。何年か経って気がついてみると、胸まであった風呂の湯がいつのまにかヘソの下まで目減りしているようなことになってしまうのではないか。これでは体力が消耗していくのを、座視することにならないか。

 要は、事態は金融の論理の中での自浄能力の限界を超えた状況になっているように思えたのである。そうだとすれば、伝統的な手法に反するが、問題点を世間に明らかにして、われわれも逃げられないし、暗闇からも手を伸ばせないようにする以外ないのではないか。その場合には政府の力としても、金融行政に止まらず、司法・警察のバックアップにも依存せざるをえなくなる。知己の中には、そういう問題について啓蒙してくれる人もいた。

 このような問題意識は九四年暮れに二信組を処理する段階ではまだそれほど明確でなかったのだが、九五年の夏には少し考えすぎてしまったかもしれない。そのようなことも、自分達の力量や政治的な枠組みなど客観的な状況を的確に把握することなく、退路を断つかたちで住専問題に突っ込んでいった大きな要因になったように思う。

 ちなみに住友銀行名古屋支店長事件については、五年も経った九九年四月十四日の新聞の片隅に、射殺に使われた銃を密売したアメリカ人のブローカーがマニラ市内でフィリピン出入国管理当局に逮捕され米国に送還された、との小さな記事を発見した。結局あの事件は、どのような結末になるのであろうか。