2015年1月16日金曜日

大蔵省の護送船団行政

いずれにしても、住友信託の腹づもりは「歴史的に長銀と関係の深い第一勧業銀行や、同じ長信銀で兄弟関係の日本興業銀行が当局の救済要請を断るなか、火中の栗を拾い、長銀の受け皿になって、日本発の世界金融恐慌を防ぐのに一役買うのだから、潤沢な公的資金を使って、救済計画が支援されるのは当然だ」(同)というものだった。

 これに対して、監督庁や大蔵省は、展開次第では、自民党が「金融再生トータルプラン」のなかで検討していたブリッジバンク制度も活用し、住友信託の要望もある程度取り入れる形で長銀処理は片をつけられると踏んでいた。

 それが、七月十二日の参院選で自民党が大敗したことで、情勢が変わってくる。橋本政権は退陣を迫られ、小渕政権が発足。参院で与野党の勢力が完全に逆転し、世論の政府に対する風当たりが強くなった。監督庁など当局が住友信託のシナリオを受け入れて、支援することは世論から不透明と反発される恐れが出て、微妙になってくる。しかし、いまだ長銀処理を住友信託の救済合併に頼るしかない監督庁など当局は、大蔵省の護送船団行政さながらの強権姿勢に転じていく。

 長銀に対しては、監督庁の銀行監督部幹部が上原隆副頭取(当時)を呼び出しバ関連ノンバンクの処理とともに、杉浦敏介元会長らを含む旧経営陣に退職金の返還請求まで行なうように求め、合併実現に向けて、破綻並みのリストラ策を講じさせた。発表文をつくるにあたっては、親子ほども年齢が違う監督庁の中堅幹部が、上原副頭取が持参した原案に赤ペンを次々と入れていったという。その一方で、マスコミには政府が公的資金による資本注入を行なって合併を全面支援する方針をたびたび強調した。

 しかし、市場では「合併計画の白紙計画が撤回」が噂され、九八年八月半ばには長銀株は額面五十円を大きく割り込むまでに売られていく。切羽詰まった当局は、八月二十日には住友信託銀行の高橋温社長を首相官邸に呼びつけ、小渕首相、宮沢蔵相、日野金融監督庁長官、野中官房長官が合併推進を呼びかけ、早急に正式な合併合意を発表するように迫るという究極の裁量行政を行なう。しかし、この時には、もう住友信託の熱は冷めていた。参院選で自民党が大敗し、国会で野党の勢力が強まるなか、住友信託が受け皿になっても、長銀に潤沢な公的資金が”持参金”として付いてくる保証がなくなったからだ。