2015年12月12日土曜日

共通政策における構造調整

もちろんECが過剰農産物を輸出する場合も想定しなければならない。この場合は、世界価格に合わせて価格を下げるための経費を輸出払戻金という形でECが負担しなければならない。これはECの財政負担を増大させることになる。共通農業政策の成功も、国際市場全体の問題としてとらえ直すと、さまざま問題を抱えているといえるのである。

 ひと口に共通政策の成功というが、成功といえるところまでくるには各加盟国間の利害の調整という厄介な作業が必要であった。これが市場の調整を超える共同体の理論である。共通農業問題は、ECを支える基軸国、フランスとドイツの利害の対立を調整した典型的な例であった。

 EC農業の近代化と生産力の増大は、ECにおける農産物の過剰問題を絶えず惹き起こしていく。これまで共通農業政策は、フランス、オランダ、デンマークといった農業強国の意向を反映した農産物価格支持政策を基本として進められてきた。農産物価格は絶えず引き上げられ、結果的に農業所得は上昇し、ECの域内自給率一〇〇パーセントを達成した。その成果の反面、ECは農産物過剰という問題に当面することになったのである。ところが、この過剰問題の処理の仕方についての考えはフランスとドイツではまったく異なっていた。

 EC最大の農業国フランスは、農産物支持価格を引き下げて過剰農産物のはけ□を国際市場に求めようとした。これに対して、小規模農業経営が多く、農産物の輸入国であるドイツは、生産調整でこの問題に対応すべきだと主張した。農産物支持価格の水準いかんで農業基金が赤字になり、ドイツは拠出金に比べて還元額が少なくなる恐れがあるからである。

2015年11月13日金曜日

入国審査官の幅広い裁量権

行政改革の名のもとに、なんでもかんでも一律にブレーキをかけるという姿勢には、大きな疑問を感じる。難民か否かを認定することがどれほど重い意味をもっているかを再確認し、認定制度のいっそうの充実を図っていかなければならない。難民条約上の難民と認定してもらうためには、まず、当人が、理由がなんであれ、認定を求める国にたどりついていなければならない。国が難民の入国・在留を認めてこれを保護することができるのも、国の領土権(領域主権)がこのよyな保護の法的基礎の一つになっているからである。だから、難民の認定を求めている人が外国にいるままでは、当人を難民と認めても、当人を保護することができない。

 日本の入管・難民認定法でも、当人が日本の地に上陸していることが、難民認定手続きが始まるための前提条件とされている。当局側の説明によると、この「上陸」許可は、入国許可を意味し、日本の港や空港に事実上着いたというだけでは、法律上入国したことにはならない。そこで、この入管・難民認定法では、難民に対して一時的庇護のための上陸を許可する、という新しい制度が導入された。これによれば、法務省出入国管理局の入国審査官は、船舶や航空機で日本の地に着いた外国人が、難民またはそれに近い者かもしれないと判断し、かつ、一時的にしろ入国許可を認めるべき事情がある、と判断する場合、当人に対してこの上陸許可を与えることができる(第一八条の二)。

 この制度は日本による難民認定を求める者ばかりではなく、アメリカなど第三国による受け入れを求めて日本には一時的にだけ滞在しようとする者にも適用される。後者の場合、第三国がその受け入れを認めてくれないと、「一時的」であるはずの上陸が、長期化することになる。難民認定のやり方の話をしようというのに、一時庇護上陸許可制度から話を始めたのには、理由がある。入国審査官が、当人は難民かもしれない、と思うかどうか。この点についての幅広い裁量権がヽ入国審査官に与えられている・その判断の結果次第で喘当人吠難民認定はおろか、一時庇護上陸許可さえも与えられないことにもなる。入国審査官が、難民認定手続きの入口のところで、それを開けたり閉じたりする、という絶大な権限を握っている。

 それにもかかわらず、入国審査官の幅広い裁量権の行使を、少しでも合理的な、公正なものとするための手がかりは、入管・難民認定法にはなんら定められていない。しかし、いわば入口での、この裁量についてのあるべき基準は、難民資格認定の申請後に始まる難民資格審査で、証拠にもとづく認定手続きが用意されていることを考えれば、ゆるやかでなければならない。

 また、難民とは思われないという入国審査官による判定が、いったん下されると、それは、もう覆えせないのか。どうにかして難民資格認定審査にもちこめたとしても、先の入国審査官の判定結果は、この審査を拘束するような影響をもつのだろうか。なにしろ、入国審査官も難民認定審査にあたる係官も、同じ役所の部局に属しているのである。これらの点も、全体のしくみのなかで考えられなければならない。

 一時庇護上陸許可が与えられると、原則として、一八〇日間の在留が許される。この制度は、インドシナ以外の国々からの難民一般にばかりではなくインドシナ難民にも適用されることとなった。インドシナ難民の場合、まず、長崎県大村の一時レセプションセンターに収容される。その後、日赤カリタス・ジャパンおよび立正佼成会の諸施設や、国際救援センターに移され、そのうちで、日本での定住を希望する者は、神奈川県北部にある大和定住促進センターや姫路定住促進センターに移される。

2015年10月13日火曜日

農業も先端技術産業

農業も先端技術産業である。農業は典型的な先進国型産業であり、きわめて技術集約的、頭脳集約的な産業であるといわれる。世界を見ても、農産物の輸出国はアメリカとヨーロッパが中心だ。大分県の一村一品である豊後牛をとってみても、交配によっていかに良い牛を作るかというのは遺伝子工学の範躊である。牛が一年に一頭しか出産しないのを、人工受精で出産回数を増やす、双子の出産にする、優秀な精子を冷凍保存しておくといった技術、さらには飼料配合の問題など、いずれもきわめて高度な研究と技術、か必要とされる。

 農業は、動物学、植物学、土壌学から遺伝学、気象学、はては機械工学やエレクトロニクスまでの広範な知識を必要とするシステム産業である。農業だけに限らない。林業も、良質の木材をいかに省力化して作るか。シイタケの生産性をどう高めるか。水産業も「獲る漁業から作る漁業へ」といわれている。

 大田村は、国東半島の中央部にある人口二一OO人あまりの小さな村である。とりたてて産業のなかった過疎の村が、いまでは一年中、生シイタケを東京へ出荷している。大分では一キログラム一三〇〇円程度の生シイタケが、東京の市場でなら一二〇〇円にもなる。航空輸送費は一〇〇円程度。東京で一四〇〇円で売れればペイするのに、実際にはそれより七〇〇円も高く売れている。

 東京の物価が高いこともある。しかし、それ以上に「情報価値」が加わっているのだ。生シイタケは優れた健康食品というレッテルがつけられている。ガンの予防にもなるともてはやされたこともある。果物でも野菜でも、新鮮で、無農薬で、ということになれば値段を高くしても売れる。

 農業後継者が東京のデパートにいって驚いた。無農薬のふれ込みで売られているキャベツが虫食いだらけで、しかも目玉が飛び出るほど高い。虫食いをありがたがって食べる都会の人たちに驚くが、「こんなものは家の畑に転がっているよ」という若者たちの話もおもしろかった。

2015年9月12日土曜日

保健センターという試み

もう一〇年も前の話だが、関西の私立の医科大学病院から1ヵ月間の医療費請求額五〇〇〇万円というレセプト(医療費の請求書)が出たことがある。このレセプトを見た内科の専門医たちは一人を除いて異口同音に「これだけの薬を投与したら患者は死んでしまう」といったが、患者は生きていた。専門医の一人だげが「こんなに投与できるわげはない。書類だげの投薬でしょう」と答えたが、これが正解だったという話もある。

 それにしても、人間が死ぬ前の医療費は非常に高い。これを香奥医療と呼んでいて、かつては、支払基金(健康保険で医療費を支払うさいの取扱い機関)でも審査しなかった時代もある(いまはちがう)。この費用は計算の仕方がいろいろあるが、少なくとも総医療費の三~五パーセントぐらいを占めているといわれている。

 末期の医療を辞退するということで、入院前にその旨を明記して病院に提出すれば、病院は無理な治療はしないということになっているが、本人はともかく、家族は少しでも生きていることを希望することも多い。この極端なケースが「脳死」のときだろう。脳死は再び意識が戻ることはないが、首から下は機器につながれて″生きて″いる。ときには何年もこの状態で生き続けることもある。この状態をはたして「生きている」ということができるのかどうかも議論の対象になっているが、同時に、医療費もかかる。このあたりぱ、国民もよく考えてみるべきだと思う。

 私たちは医療費を減らすというと、薬剤費を削減するとか、臨床検査の一括請求とか、一部負担をふやすとか、平均在院日数の短縮とかいったことを考える。たしかにこういった施策は医療費を減らすことに効果があるのは事実である。しかし、こういったことだけか医療費削減の方策なのではない。ほかにも手法のちがったことで効果のある方法もある。

 薬代を削減する、平均在院日数の短縮といったものを、寓話にある北風だとすれば、ホカホカと太陽が照らすことによってオーバーを脱がせるといった方法もある。とかく、こちらのほうは人の目に触れないし、迫力がないということもある。

2015年8月18日火曜日

連合国国連体制に終止符を打つ

日本が憲法第九条のもとで、覇権を求めず。いかなる名目であっても侵略戦争につながる軍事行動は厳しく自制することを改めて鮮明にすることだろう。これまでの常任理事国はいずれも核保有国であり、武器輸出大国だった。日本とドイツがもし参入するなら、過去の反省を踏まえ、これまでの軍事大国とは明確に一線を画することが不可欠になる。それは、連合国国連体制に終止符を打つにあたり、過去の侵略で多くの犠牲を与えたアジア近隣諸国に対する当然の責務だと言える。その意昧では、日本が過去に打ち立てた非核三原則、武器輸出禁止三原則は、改めて確認しておくべき最低限の条件だろう。

 同時に、日本が軍縮に向けて努力することを、常任理事国入りの目標として掲げることが。不可欠の前提になる。日本は既に、国連軍備登録制度を提唱して九一年に実現させ、国連軍縮京都会議を開催するなど、地道に実績を積み重ねてきた。こうした活動を、最優先の課題として提起し、これまでの軍事大国に対する牽制役を果たすなら、常任理事国入りの意図は多少は明確になるだろう。また、「西側」の特権クラブに参入するのではなく、アジアの一員として「南」の意向を踏まえる姿勢を明確にすることは、同時に多くの加盟国の懸念を除くことになるだろう。

2015年7月14日火曜日

マイクロソフトやインテルといった情報通信産業

世界の上位二〇傑のうち一四社がアメリカ企業で、上位一〇〇傑に入るアメリカ企業はちょうど六〇社、上位一〇〇〇傑に入るアメリカ企業は四二八社にも上る。ニューヨーク株式市場の好調ぶりを反映している。トップはGE、二位はマイクロソフト、三位ロイヤルーダッチーシェル、四位コカコーラ、五位エクソンと続き、ポピュラーな顔ぶれを拾うと、九位ウォルマートーストア、一〇位インテル、一三位IBM、一八位AT&Tといった具合である。

 ヨーロッパ系も結構健闘していて、この番付では、上位一〇〇傑に入る各国企業数は、英国が二一社、ドイツ八社、フランス三社、イタリア三社、オランダ四社、スイス五社で、合計三五社になる。それに対して、日本は一〇〇傑に入る企業はわずか三社で、八位にNTTが、一八位にトヨタが、そして東京三菱銀行が六八位に顔を出す(一〇〇〇傑には一一六社)。こういった傾向は一株の株価(九八年五月二九日)も同様で、ドル建てで表示すれば、日本企業は一〇ドル割れの企業が続出するが、アメリカ企業は五〇ドル以上の株価が少なくない。

 株価が好調なのは、マイクロソフトやインテルといった情報通信産業ばかりではなく、GEやGMやフォードやエクソンといった旧来の重工業産業も好調で、一時は赤字転落して経営危機に陥ったシティコープ(時価総額で第三八位、株価は一四九ドル)やバンカメリカ(時価総額は第五六位、株価は八三ドル)も、いまや回復して株価を上げた。マイクロソフトー社の株価総計で、東京三菱、住友銀行、さらにはソニー、ホンダ、松下電器という五社を買えることになる。

 そもそも上位一〇〇〇傑に入るアメリカ企業四二八社のうち、株価が一〇ドルを割る企業は一社もない。しかし、上位一〇〇〇傑に入る日本企業一一六社のうち、株価が一〇ドルを割るのが、五〇社を数えるのである。株価が落ち、企業が安値で買い叩かれる可能性もあり、日本企業が時価総額で上位を席巻していた一〇年前とは大違いである。

 これを市場別に見れば、アメリカ株式市場の時価総額は八・九兆ドルと突出したトップ(二位の英国の五倍、三位の日本の六・三倍)で、株価がその株式会社の一株当たり利益の何倍になっているかを示す指標である株価収益率(PER)は二八倍、一株当たり利益が二二・四ドル、対する日本は時価総額は一・四兆ドルで、アメリカのわずか一五・七%の市場規模に転落してしまった。にもかかわらず、日本市場の株価収益率は五五倍、一株当たり利益が六・九ドルで、アメリカよりも株価が高く、利益率はかなり下回るということになる。これは、株価が低迷している以上に、企業収益が奮わないからである。

 株価を一株当たりの利益で除した株価利益率は、利益に対する株価水準を判断する代表的な指標だが、株価低迷に苦しむ日本企業のPERが株価高騰に沸いたアメリカ企業を上回るということは、いかに日本企業の利益が奮わないかを示すものである。『ビジネスーウィーク』によれば、先進諸国一〇力国のなかで日本のPERは最高で、一株当たり利益は最低、時価総額では英米に次いで三位というところである。

2015年6月12日金曜日

文部省か「認定」を格上げ

「英検」は高度の一級から初級の五級までランクが設けられ、一級と二級の次のレベルに「準一級」「準二級」かおる。検定料は一級が五五〇〇円、二級が三五〇〇円、三級が二〇〇〇円。年三回実施され、各一次・二次試験を経て、検定の合格者には「合格証書」が交付される。一次試験は筆記とリスニング。二次になると、例えば一級は外国人と日本人面接委員各一人がペアで個別に面接し、五つのトピックから一つを選び、二分間のスピーチをし、このあとQ&Aを行う、といった内容だ。

 こうした実用本位の「検定能力」が評価され、同財団によれば、上場企業は入社試験の際の英語の能力審査で自ら実施するペーパーテストに次いで「英検」などの資格を重視している(九五年実施の上場企業一〇〇社のアンケート調査結果では、「ペーパ上アスト」による英語力の評価が四六%、「英検などの資格」で評価が四三%、の順)。

 この「英検」を文部省が「文部省認定の技能検定」と定めたのが、六八年二月のことである。大学紛争で揺れたこの年に、文部省は「社会教育上奨励すべきもの」として、「文部省認定」に踏み切った。さらに、二〇〇〇年四月には、それまでの「告示」を根拠にしていた認定を、文部大臣自らが発する「省令」に格上げしている。この省令は中曽根弘文・文部大臣名で「青少年及び成人の学習活動に係る知識・技能審査事業の認定に関する規則」として定められた。

 内容は、第一条に「文部大臣は、青少年及び成人の学習意欲を増進し、その知識及び技能の向上に資するため、これらの者が習得した知識等の水準を審査し、証明する事業のうち、民法第三十四条の規定による公益法人を指す。その他の団体の行う事業であって、教育上奨励すべきものを認定することができる」とある。

 続いて第二条で、認定を受けようとする法人は「その名称、事務所の所在地、代表者の氏名及び認定を受けようとする技能審査の名称を記載した技能審査認定申請書を文部大臣に提出しなければならない」と義務付けている。申請の様式も別記され、この様式を踏まえて申請するようにと、用紙の大きさ(A4判)まで決められている。ここに問題がある。公益法人の実施する「資格」を、国がどうして「認定」する必要があるのか。

2015年5月18日月曜日

知人も事件に関与している

三重県鈴鹿市のJA鈴鹿本店で今年3月、2人組の男が現金輸送車を襲い、2億円を奪った事件で、県警は7日、住所不定、元暴力団幹部(36)と、暴力団員の男について、強盗容疑で逮捕状を取った。

 元暴力団幹部の男は拳銃を隠し持っていたとして銃刀法違反容疑などで逮捕、起訴されている。暴力団員の男は逃走しており、県警で行方を追っている。

 捜査関係者によると、2人は3月18日午前7時頃、鈴鹿市地子町のJA鈴鹿本店で、到着した現金輸送車の前に車で乗り付け、警備員に拳銃のようなものを突き付けて「動くな」と脅し、2億円と1000万円が入った手提げバッグ2個を奪った疑い。

 車は盗難車で、同月20日に同市内で発見され、1000万円の入ったバッグは手つかずで車内から見つかった。

 三重県鈴鹿市で3月に2人組の男に現金輸送車が襲われ2億1千万円が強奪された事件で、県警が元暴力団幹部(36)=銃刀法違反などで起訴=が犯行にかかわった疑いが強まったとして、強盗容疑で再逮捕する方針を固めたことが7日、わかった。この幹部の県外に住む30代の知人も事件に関与していることもわかり、同容疑の逮捕状を取り行方を追っている。

 元暴力団幹部が別の知人に事件への関与をほのめかしていたことが分かり、県警が元幹部の周辺を捜査。知人の30代の男の関与も浮上した。

 2人は3月18日朝、鈴鹿市地子町のJA鈴鹿本店の通用口で、現金輸送車から現金を搬出していた警備員に拳銃(けんじゅう)のようなものを突き付け、2億1千万円を強奪。車で逃走した疑いが持たれている。

2015年4月13日月曜日

「民族」とは

民族の時代といわれて久しい。近年、とくに民族の問題がクローズアップされている背景には、いうまでもなく共産主義体制の崩壊がある。冷戦終了後、旧ソ連や東欧では民族意識と宗教の封印が解かれたとたん、堰を切ったように民族問題が噴出した。また旧共産圏以外でも、東西の陣営争いの下で国際社会から黙殺されてきた民族問題が、あらためて浮かびあがってきた。

 もちろん民族の問題は、そのはるか前から存在していた。だが、いまほど「民族」が、「イデオロギー」にかわる道具として露骨な陣取り合戦や政治的駆け引きのために利用されている時代はない。また、いままで民族意識などさほどもたないできた人々が、特定の民族や集団への帰属を強めて社会を「分化」する動きも、これまでになかったものだ。今日もなお、新たな紛争の火の手があがり続ける民族問題解決のマニュアルは、いまだその表紙すら見えてこない。

 そもそも「民族」とはなにか。その定義はひじょうにあいまいで流動的だ。人類をこれこれこういう概念で分類したグループのこと、というような明確な基準がないからである。私たちは、たとえば「多民族国家・米国」といわれると、白人も黒人も黄色人種もいるしなどと、まずは人種の違いを思い描くことが多い。

 まず、人種についてみてみよう。「人種」という言葉には、純粋に生物学的特徴をいう場合と、階層とか文化などの属性も含める場合と、二通りの意味がある。たとえば「人種が違う」というような表現は、肌や目の色の違いというより、育ちなどを問題としたものだろう。こうした文化的属性をも含めての人種は「社会的人種」とよばれることもある。この意味での「人種」は、かつて「民族」とほとんど同じようにもちいられてきた。

 一九世紀から二〇世紀にかけて西洋社会に広まった人種論は、白人は黒人や黄人より優れており、それを支配すべきであるという、植民地制度を正当化するような白人中心思想によっていた。つまり人種とは、わざわざ「社会的人種」とことわるまでもなく、もともとが生物学的特徴と文化的特徴によって、人類を分け隔てる概念だったのである。

2015年3月13日金曜日

健康な歯が冒されるのは病原体によるはずだ

健康な歯が冒されるのは病原体によるはずだということを前提とすると、歯周病の予防を目的にした歯磨きは、歯周病を起こす病原体の除去を目標としていることになる。もしこれらの原因となる細菌を古典的な病原体と考えれば、文字通り根こそぎにしなければならないという発想に結び付く。想像では、歯周病は一種の創傷感染症ということになるが、口腔に限らず、全身の皮膚や粘膜に常に微細な創傷が生していることは想像以上である。たとえば直接、創傷と無関係と考えられる理髪などでも、理髪店から戻って、髭を剃ってもらったばかりのところを熱いお湯などで洗ったりすると、ピリピリとした感じがする。それは、小さい創傷ができているからである。

 歯に関しては、毎度の食事という行為が何といっても最大の受傷の機会だろう。歯肉の部分には食物中の固い物体によって小さい損傷ができることもあるだろうし、噛むこと自体で歯垢が組織の中に押し込まれることもあるだろう。また歯垢が堆積するだけで、周囲の組織への悪影響が出やすくなるかもしれない。体験からいえることだが、歯肉の部分にかすかに感じられる鈍痛あるいは不快感は、歯垢を除いた直後から軽減する。

2015年2月13日金曜日

自浄能力の限界

私にとって気がかりだったのは、事件そのものもさることながら、その後一年経っても犯人が検挙される気配もなく、どうやら迷宮に入ってしまいそうなことであった。これでは金融界の伝統的な手法により、不良債権問題を時間をかけてソフトランディングさせようとしても、その間に闇の中にカネが吸い込まれてしまうのではないか。何年か経って気がついてみると、胸まであった風呂の湯がいつのまにかヘソの下まで目減りしているようなことになってしまうのではないか。これでは体力が消耗していくのを、座視することにならないか。

 要は、事態は金融の論理の中での自浄能力の限界を超えた状況になっているように思えたのである。そうだとすれば、伝統的な手法に反するが、問題点を世間に明らかにして、われわれも逃げられないし、暗闇からも手を伸ばせないようにする以外ないのではないか。その場合には政府の力としても、金融行政に止まらず、司法・警察のバックアップにも依存せざるをえなくなる。知己の中には、そういう問題について啓蒙してくれる人もいた。

 このような問題意識は九四年暮れに二信組を処理する段階ではまだそれほど明確でなかったのだが、九五年の夏には少し考えすぎてしまったかもしれない。そのようなことも、自分達の力量や政治的な枠組みなど客観的な状況を的確に把握することなく、退路を断つかたちで住専問題に突っ込んでいった大きな要因になったように思う。

 ちなみに住友銀行名古屋支店長事件については、五年も経った九九年四月十四日の新聞の片隅に、射殺に使われた銃を密売したアメリカ人のブローカーがマニラ市内でフィリピン出入国管理当局に逮捕され米国に送還された、との小さな記事を発見した。結局あの事件は、どのような結末になるのであろうか。

2015年1月16日金曜日

大蔵省の護送船団行政

いずれにしても、住友信託の腹づもりは「歴史的に長銀と関係の深い第一勧業銀行や、同じ長信銀で兄弟関係の日本興業銀行が当局の救済要請を断るなか、火中の栗を拾い、長銀の受け皿になって、日本発の世界金融恐慌を防ぐのに一役買うのだから、潤沢な公的資金を使って、救済計画が支援されるのは当然だ」(同)というものだった。

 これに対して、監督庁や大蔵省は、展開次第では、自民党が「金融再生トータルプラン」のなかで検討していたブリッジバンク制度も活用し、住友信託の要望もある程度取り入れる形で長銀処理は片をつけられると踏んでいた。

 それが、七月十二日の参院選で自民党が大敗したことで、情勢が変わってくる。橋本政権は退陣を迫られ、小渕政権が発足。参院で与野党の勢力が完全に逆転し、世論の政府に対する風当たりが強くなった。監督庁など当局が住友信託のシナリオを受け入れて、支援することは世論から不透明と反発される恐れが出て、微妙になってくる。しかし、いまだ長銀処理を住友信託の救済合併に頼るしかない監督庁など当局は、大蔵省の護送船団行政さながらの強権姿勢に転じていく。

 長銀に対しては、監督庁の銀行監督部幹部が上原隆副頭取(当時)を呼び出しバ関連ノンバンクの処理とともに、杉浦敏介元会長らを含む旧経営陣に退職金の返還請求まで行なうように求め、合併実現に向けて、破綻並みのリストラ策を講じさせた。発表文をつくるにあたっては、親子ほども年齢が違う監督庁の中堅幹部が、上原副頭取が持参した原案に赤ペンを次々と入れていったという。その一方で、マスコミには政府が公的資金による資本注入を行なって合併を全面支援する方針をたびたび強調した。

 しかし、市場では「合併計画の白紙計画が撤回」が噂され、九八年八月半ばには長銀株は額面五十円を大きく割り込むまでに売られていく。切羽詰まった当局は、八月二十日には住友信託銀行の高橋温社長を首相官邸に呼びつけ、小渕首相、宮沢蔵相、日野金融監督庁長官、野中官房長官が合併推進を呼びかけ、早急に正式な合併合意を発表するように迫るという究極の裁量行政を行なう。しかし、この時には、もう住友信託の熱は冷めていた。参院選で自民党が大敗し、国会で野党の勢力が強まるなか、住友信託が受け皿になっても、長銀に潤沢な公的資金が”持参金”として付いてくる保証がなくなったからだ。