2014年10月13日月曜日

労組ぐるみの地域支配再編成

市役所の女子職員が着ていたユニホームや、そこで使われていた横文字の事務用語や、ロビーのクルマの年式や市役所の庁舎などよりずうっと早くから、そこよりもずうっと不便な場所にあるトヨタ本社のほうが、そのすべてに関して先に始めていたものの真似にすぎなかった。市役所で税務担当者にあって、豊田市の今年(一九七四年)度の財政見通しをきくと、「自工さんの売り上げ次第です」「自工さんの決算が決まらないと……」というセリフがなんどもとびだしてくる。トヨタは七四年冬に入って、ようやく一年ぶりに増産態勢にはいってきたので、豊田市の財政もようやく見通しが明るくなってきたのだが、昨年度はトヨタからはいる法人税を三五億円と見込んでいたのにもかかわらず。前期が一九億円、そして後期には一一億円しかはいらず、結局三〇億円。五億円の収入減になってしまった。

 このため、市起債の工事の発注中止などのアオリをくらった。今年度は年間二九億円と見込んでいたのだが、前期で一〇億円、後期でもその位か、ということである。二万初め現在にいたっても、これまたたしかな見通しがつかず、「自工さんの売り上げ次第です」という財政見通しである。豊田市の歳入二一〇億円のうち、法人、個人を合わせた市民税総額は、約半分の六〇億円強。いままでの例からみれば、このうち法人税は六〇パーセント以上を占め、このうちトヨタ分か八〇パーセント以上、個人市民税でも全従業員三万四〇〇〇人の八〇パーセントが市内に居住しているのと、下請関連をふくめると、市民税総額中九〇パーセント程度はトヨタに依存しているのである。

 たとえば、七二年度の税収入をトヨタだけに限ってみても、法人市民税八一パーセント、個人市民税五三、固定資産税(土地・家屋)三七、償却資産六九、電気ガス税五〇、都市計画税四三、というようなものだった。トヨタは、豊田市とその周辺に、トヨタグループご一社約六万人、協豊会(下請協力工場・部品工場)二〇〇社、精豊会(型・ゲージ関係)二二社、栄豊会(建設、工事関係)三三社、その下の二次下請で一〇〇社、三次は一万から三万社といわれる工場を配置し、不滅の王国を形成している。

 それが石油危機を契機とした減産態勢の継続によって、城下町の金庫番もソロバンのはじきようがなくなってきたのである。当面予想されるのは、これまでのトヨタにおける生産増大によって、人ロがふえ、小中学校が満杯となり、病院、保育園が不足し、それにともなう財政負担の増加分を、こんどはトヨタからの税金だけでは賄いきれなくなることである。「減産次第でこれからの豊田市は苦しくなるでしょう」と税務担当者はいまから頭を抱えている。

 豊田市民はトヨタ出身議員を「トヨペット議員」と呼ぶ。これらの議員は、形式的には労働組合推薦で、民社系である。工場内でのトヨタの選挙運動は、表面上は、企業としてのトヨタではなく、組合員である職制の手でおこなわれる。トヨペット議員としては、元労組委員長の衆議院議員一人、県会議員一人をだしているが、市だけでみても、市長と市議会議員八人(このうち一人が市議会議長)である。この議員の数は市財政に対するトヨタの寄与率が高まるのに併行してふえてきたが、七四年では年代別、工場別の代表委員といった形で構成されている。これを工場別にみると次のようになる。