2014年4月17日木曜日

バブルとは何だったのか

このように個人が積極的に株式投資を行うようになった一つの契機として、八六年から八七年にかけてのNTT株式の売却、及び上場後の株価急騰がある。臨調答申に基づき、三公社の民営化か行われ、先ずNTT株式の売出しが八六年に行われた。NTT株は個人投資家の間で人気を呼んだ。八七年二月の上場後、二ヵ月あまりの間に売出価格の約三倍まで急騰している。NTT株の売却が、結果として、株式投資にかかる自己責任原則が十分に理解されないまま、多くの個人の株式投資に対する関心を高めることにつながった可能性は否定できない。

 いま、バブルがどのようにして起ったのかを振り返ってみた。それはそれでたしかにそうだったなあ、とは思うだろう。しかしそれにしても今になってみれば、何となくキツネにつままれたような気持が残るのも事実である。たしかにバブル現象は随所に感じられた。しかしあの頃、われわれの日常生活がすべての側面でそんなに異常だったとも思えない。実際、株価・地価の高騰や、美術品・海外旅行ブームなどはあったが、それは経済活動全体から見ると、限られた部門での特異な現象であった。あの時代の日常生活、実体経済そのものは比較的落ち着いたものに感じられた。

 例えば、経済成長率を見てみよう。円高不況から一息ついた後のバブルの最盛期、八七年度から九〇年度までの実質成長率(約五%)は、それ以前の八〇年代前半(約三%)に比べると、たしかに高い。しかし、五%程度の成長率自体は、異常なものとまでは言えない。当時経済の第一線で活躍していた人達にとっては、円高不況から脱却して正常な軌道に戻った感じだった。

 私は、八六年から八八年にかけて、経済企画庁で経済の将来展望を作る仕事をしていた。八八年五月にまとまった経済計画では、今後五年間の実質成長率は、経済安定志向の大蔵省と経済活力志向の通産省との妥協の産物として、三・七五%となった。その過程では、学者・エコノミストの中にも四%以上の成長を目標にすべしと強く主張する人が沢山おられ、三%台に収めるのに苦労した記憶がある。