2013年8月28日水曜日

ドブに金を捨てるような事業

たしかにその通りだ。一九八〇年頃、北部の沖縄市や南部の南風原町を訪ねことがあるたが、まだ未舗装の道路がたくさんあって、前方にトラックなどが走っていると、土ぼこりが車内まで侵入してきてひどい目にあったものだ。ところが、今では沖縄で舗装されていない道路を見つけるほうがむずかしい。私は一九七七年に、取材で一ヵ月ほど読谷に滞在したが、夕方に帰ってくると顔から鼻の中まではこりだらけだった。こんな生活環境を何とかしようと、政府は「沖縄振興開発計画」を策定して、積極的にインフラを整備したことは述べた通りである。

 振興開発計画は沖縄だけでなく、開発庁がおかれた北海道にもあったが、両者は大きく違っていた。北海道の場合、国が開発計画を決定するが、沖縄は振興法第四条によって、沖縄県知事が振興計画案を立て、それを内閣総理大臣が決定主導する。つまり、沖縄県の意向が尊重されるようになっているのだ。至れり尽くせりとまでは言わないが、北海道に比べたらはるかに優遇されていた。ところが、なぜか振興開発予算の多くは、道路や港湾、空港などの整備に集中的に使われてきた。初期の頃ならそれでもよかった。しかし、第一次および第二次沖縄開発振興計画の二〇年間で、ほぼ本土並みにインフラが整備されたにもかかわらず、まだまだ整備が足りないとばかりに、道路やハコモノに補助金が投入された。

 沖縄にかぎらず、失業率が高い地方では、公共事業はそのものが目的ではなく、雇用を拡大するための社会保障として利用されることはよくある。社会保障が薄く、都市集中が激しい日本では必要悪でもあるが、それでも沖縄の場合はちょっと異常である。国に言われるまま、補助金を公共事業にばらまいてきたとしたら、これは沖縄県の怠慢以上に犯罪的行為だろう。八人に一人は建設業界で飯を食っている。九〇年代後半だったが、当時、私か親しくしていた重機のリース会社社長にこう言ったことがある。「今北部の道路を舗装してるんだが、舗装をやり直す必要がないのに、道路を壊してアスファルトを流しているんだ。聞けば、もう沖縄には舗装する道路がなくなり、仕方がないから古いところから塗り替えるているらしい」 これをおかしいと気づいた県職員もいた。

ハードをいくらつくっても、住民はちっとも幸せにならないことに悩み、もっと別のところにお金を使うべきだと提案したそうである。しかし、何も変わらなかったという。 おそらくその理由は、沖縄における建設業の比重だろう。過去に八兆五〇〇〇億円以上もの国家予算をつぎ込み、その多くを公共工事に回したおかげで、沖縄には膨大な数の建設業者が誕生した。行政に頭さえ下げれば仕事を回してもらえるのだから、食いっぱぐれることはない。大手建設会社に何年か勤めると、独立開業する人たちが後を絶たなかった。

 こうして、沖縄最大の國場組を筆頭にした十数社の大手建設業者の下に、膨大な数の中小建設業者がひしめき合うというヒエラルキー的構図ができあがったのである。何年か前だったが、県内の新聞に、建設業者の数が四〇〇社をこえたという記事を見て、さすがに多いなあと感心したものだが、よく読むと、四〇〇社というのは宮古島だけの数で、沖縄全島では五五〇〇社をこえるそうである。八人に一人はこの業界で飯を食っているというから途方もない数なのだ。そしてもうひとつの理由は、たとえドブに金を捨てるような事業でも、この国の官僚はいったん走り出したら止まらない。アレックスーカーのいうブレーキのない戦車のようなもので、沖縄県の役人もそれと大差なかったということだろう。